康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

自由研究Vol3その後

※『犬神家の一族』の細かい描写について触れています。

神保町横溝倶楽部が2015年に刊行した『金田一耕助自由研究 Vol3』に、私は初めて考察文を寄稿したわけだが、ちょっとした思い出話と投稿したテーマのその後を少し。

この時、劇中に登場する二つの手拭いと二人の顔を隠した男をリンクさせた伏線について書いた。
実は当初、夢野久作『犬神博士』との比較を念頭に原作を再読していたが、読み進めるうちに、兼ねてから抱いていた復員兵関連についての様々な疑問が次々に浮かび、テーマを変更、急ぎ構成を練り直したのである。
佐清が帰港した博多にある引き揚げに関する展示コーナーを訪ねたり、県立図書館から引揚援護関係の資料を借りてきてはメモを取り、夜な夜な唸りながら原稿を書き上げたことを思い出す。

さて、本誌では調査の過程での「面白い発見」について別の機会にお話しする旨、含みを持たせた形で稿を締めたわけだが、その発見について書くタイミングを見つけられず時間が経ってしまった。せっかくなので、この場で書き出してみようと思う。

その「発見」とは

原作中で度々言及される「博多の復員援護局」こと博多引揚援護局は昭和22年4月に閉局していた

ということである。
どういうことか。
犬神家の一族』現行版では、事件発生時期については「昭和二十×年」とぼかしているが、人物の年齢等から「昭和24年」であることが推察されている。つまり、現実とは2年のタイムラグが生じているのである。
史実と小説とを細かく比較してアレコレ言うのは野暮かもしれないが、この時間的問題は私の頭の中を「?」でいっぱいにするのに十分であった。
締切までにまとめられそうになく、その時は見送ったが調査と考察はその後も続けた。
あれやこれやと資料をあたり、それまで知らなかったことが次々とわかるようになるに従い、その都度仮説を建ててはやり直しを繰り返した。
トラブルに巻き込まれて出港が遅れた、入港前の検疫で船が引き留められた、上陸後すぐ近くの療養所等に入院した……等々の引き揚げ当時の様々な事情を考慮しての描写だったのか、それとも別の意図が……そういえば犬神家の事件は全国的に報道されて注目されたみたいな一文があったから実話を基にしたフィクション風に?いやいや、まさか。物語の緊張を高めるのがだな……
……どれも決定打に繋がらず、大いに弱りきっていたとき、ふと『横溝正史研究5』を再読した。
山口直孝先生の論文、『犬神家の一族』の草稿についての話を思い出したからである。
初読時は登場人物の名前や家系図の変遷に意識が集中していたが、今、別の目線で再びひもといたら、何かヒントが得られるだろうか。そんなことを考えながらページを繰っていると、ある図版が目に飛び込んできた。
それは、連載第三回、現在の「佐清帰る」の章の、冒頭部分の草稿である。
金田一耕助那須市入りしてから待ちに待った佐清の登場、その年月日が現行では

「昭和二十×年十一月一日」

なのが

「昭和二十一年十月二十五日」

になっているのだ。
驚いた。これについては、まず、年代表記をぼかしたのは作品内時間を昭和24年に設定したが、金田一耕助のキャリアや主に復員関係についての戦後の混乱をリンクさせることが困難だった為、そして連載開始後も年代の問題は揺れ続け草稿の際に21年としてしまい完成時に訂正された……という主旨の推察が述べられている。
そう、作者自身も悩んでいたのである。
なるほど、時間の辻褄を合わせようとすればするほど混乱が生じるわけである。しかも作品発表から長い年月が経ち、世相を含めた当時の事情を一から調べなければならない状態で入り込めばなおさらだ。そういえば事件年表やパスティッシュを作成する際、『犬神家の一族』の発生時期が意外とネックになるというようなことを木魚庵さんがどこかで話されていたような。
何度も映像化された代表作こそが、その為もあってかある意味身近に感じてしまう作品こそが最大の謎を秘めた物語だとは……。
やっぱり、『犬神家の一族』は面白い。そして奥が深い。


時間については一応の決着をみた。次は場所についての問題である。
なぜビルマと博多を選んだのか。
謎を複雑化させるエッセンス、物語の舞台から遠い土地を示す記号(※)として選ばれたのだろうが、そのキッカケは何だったのか。何か印象に残るような出来事があったのか(同じような事が金田一耕助にも言えるのだが)
これについても一応の仮説をたてているのだが、それは、また稿を改めて。

※『金田一耕助自由研究』Vol3収録の風々子さんのコラム「改稿履歴の重箱の隅」より。これも必見です。
また戎光祥出版の『横溝正史研究5』には『犬神家』草稿の他『模造殺人事件』も第四回までの分が収録されていますので合わせてぜひ。
なお博多港の引き揚げ関係についてはVol3と同じく『海外引揚関係史料集成(国内篇)第9巻』(クレス出版)を参考にしました。