康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

『犬神』な『博士』と『一族』(全)

※※※横溝正史犬神家の一族』(つのだじろう版含む)夢野久作『犬神博士』の重要な部分に触れています※※※



以前から横溝正史夢野久作の関連性的なことを
テーマに研究を行っているのだが、
そのキッカケは横溝正史犬神家の一族』と
夢野久作『犬神博士』について考えを巡らせた
ことであった。

横溝正史の『犬神家の一族』は、奇妙な遺言状と連続殺人事件の謎を巡る本格探偵小説であり、
夢野久作の『犬神博士』は、主人公「チイ」少年の目を通した社会風刺とも冒険活劇とも言えそうで言い切れない久作独特の小説である。
ジャンルの異なる両作を比較してあれこれするのは無謀というより野暮というものかもしれないが、作品を繰り返し読むうちに何かと思うことがあるのも事実だ。

タイトルに「犬神」を冠する両作について
拙いながらも現時点で考えていたことを述べていきたい。

なお今回参照したのは
犬神家の一族』は角川文庫版(昭和51年11月9日34版)
『犬神博士』はちくま文庫版『夢野久作全集』第5巻
である。
引用の際は
犬神家の一族』→(角川)
『犬神博士』→(ちくま)
とした。

●作中における「犬神」という伝承について

犬神家の一族』の原作においては、ハッキリと言ってしまえば「犬神」の伝承そのものについての言及はない。
冒頭、犬神佐兵衛の苗字について「妙な姓」「ほんとうのものかどうか」とあるだけだ。(角川3ページ)
犬神家の一族』における「犬神」という名前について強いて追及すれば、文字通りの裸一貫から大財閥をつくりあげた立志伝中の人の神秘性を高めたといえばいいのか。

尚、物語と伝承の密接なリンクという意味では
つのだじろう氏の漫画版が一番だろう。
序盤、古館弁護士の口から語られる伝承は、
「犬神コンツェルン」(つのだ版における犬神財閥)発展と事件の展開に深く関与することとなる。
氏一流のオカルトエッセンスが加わったことで、
ある意味「タイトルを耳にしてパッと浮かぶ作品イメージ」通りになったといえるのではなかろうか。(ちなみに私は犬神伝承をこの漫画版ではじめて知った。)

他方、『犬神博士』
こちらでは、語り手である「大神二瓶(おおかみ にへい)」の数多くあるあだ名の一つとして登場する(聞き手である記者とのやりとりから察するに、二瓶自身はあまりこの呼び名を気に入っていないようだが)。
大神二瓶に「犬神博士」のあだ名がついたのは、「お神酒を一本上げれば大抵のこと」「その他百般なんでもわかる」彼の「神通力」が、伝承における「犬神の御託宣」のようだと人々が噂している為だという。(ちくま12ページ・14ページ)

その犬神伝承についても二瓶自身の口からそれがどういうものであるかが詳しく語られるが、その後二瓶が「神通力」を得た経緯として語られる彼自身の幼少時代――「チイ」少年の物語に伝承は登場しない。つのだ版『犬神家の一族』のように犬神絡みの儀式を垣間見ることも、伝承の噂を聞くという描写も見られない。
『犬神博士』については、作中の台詞に登場する「幻魔術(ドグラマグラ)」(ちくま253ページ)という言葉が一番この作品を表現しているとも言えるのだが、タイトルに冠された「犬神」もまた作品の雰囲気を一言で表している……とまとめるのはいささか乱暴だろうか。


●佐兵衛と二瓶

それにしても
犬神家の一族』の犬神佐兵衛(いぬがみさへい)
『犬神博士』の大神二瓶(おおかみにへい)
この二人、名前の響きのなんと似通ったことか。

2人とも正確な出自は不明で、流浪の日々を送った過去がある。
また若き日の佐兵衛はその後の物語に影を落とすほどの美少年であり、二瓶も「チイ」としては少女の格好で芸を披露しても通るくらいである。

「神社」もまた共通項で、
『犬神博士』の物語は、「犬神博士」こと大神二瓶が自身の回想を新聞記者に語る形なのだが、取材場所である二瓶宅(二瓶曰く「自分で作った構成派風の新様式住宅」)は「ズット前から心安くしている」「箱崎八幡宮」の地所にあるという。(ちくま10~11ページ)

佐兵衛にとっては流浪の果てに行き着いた「那須神社」、その神主である野々宮神主夫妻との出会いこそ(彼の言葉を借りれば)「運のひらきはじめ」そして当然ながら『犬神家の一族』の物語のそもそもの発端である。(角川3~4ページ)

「大神二瓶」こと「チイ」少年の言動は、作中では「神通力」、あらすじや評論では「超能力」と称されるが、「犬神佐兵衛」にみれば「ひとが数年かかって習うところを、一年にして習得」し学び取った技術経験と時代の追い風を武器に「押しも押されぬ日本一流の大会社」を作り上げたこと(角川6~7ページ)が見ようによっては一種の「超能力」とも言えるのかもしれない。


余談ながら。
『犬神博士』の物語は夜が明けかかっている山の中を「チイ」少年が走り去っていく形で幕を閉じるが、この走り去っていったチイ少年が流浪の末に信州那須神社にたどり着き「犬神佐兵衛」になったのではないかという妄想を私は抱いていた時期がある。
だが、よくよく読むと『犬神博士』でチイ少年が活躍したのは「日清戦争前後」とある。(ちくま27ページ)
片や犬神佐兵衛が那須神社にたどり着いた年は作中では明確にされていないが、佐兵衛の会社が「日清・日露の両戦争」を経て躍進していく一文(角川7ページ)を見るに明らかに時期が合わない。
何より、大神二瓶の気概や思想を見るに、どうも大財閥の主である犬神佐兵衛の姿と噛み合わないのである。
あえなく潰えたこの妄想だが「横溝正史夢野久作」というテーマに踏み込むキッカケになったのだから世の中わからない。


●作者の側から

横溝正史犬神家の一族』が発表されたのは
雑誌「キング」において。昭和25年新年号~昭和26年5月号連載。
夢野久作『犬神博士』は「福岡日日新聞」(夕刊)において。昭和6年9月23日号~昭和7年1月26日号連載。
言うまでもなく『犬神博士』は戦前、『犬神家の一族』は戦後の作品ということになる。

ここで思い浮かぶのは「横溝正史は『犬神家の一族』を執筆するにあたって、夢野久作『犬神博士』を意識していたのか?」という疑問だ。

実を言うと「非常に微妙なライン」である。
自分で提示しておきながら言うのもナニだが
結論からいうと「否定は出来ない」のである。

『真説 金田一耕助』などのエッセイによると
犬神家の一族』は、執筆にあたり依頼主である「キング」編集部から『獄門島』のような「見立て殺人」ものを、というオファーがあったという。
「複雑な家庭環境・人間関係」「奇妙な遺言状が書かれた真相」「家宝に見立てた連続殺人」があくまで主題であって、詰め込みすぎると当然、小説の筋が脱線しかねない。

また同じく『真説 金田一耕助』収録の「「犬神家の一族」の思い出」には、連載予告が掲載された際に江戸川乱歩から
「ぼく犬神だの蛇神だの大嫌いだ」と言われ、それに対して「犬神も蛇神も出て」こないが平凡な名前より「鬼面ひとを嚇(おど)か」そうと「犬神」の名を冠したと答えたというエピソードが記されている。(角川文庫版29~30ページ)
「佐兵衛と二瓶」の項で述べたように、
犬神佐兵衛と大神二瓶、2人に共通項は存在するが、ストーリー全般から推察するに
「重要人物の造形には多少影響しただろうがストーリー構成とはまた別」ということになろう。

横溝正史自身の「犬神伝承」についての認知は、これまた推察ではあるが、
江戸時代を舞台にした時代小説を執筆していた関係上、資料を収集していた際に、ある程度は知っていたのではないだろうか。


では横溝は『犬神家の一族』を執筆するまでに『犬神博士』を読む機会があったのか。
これも結論からいえば「否定は出来ない」のである。

世田谷文学館の資料目録「世田谷文学館資料目録1 横溝正史旧蔵資料」(2004年刊)によると
「戦前」(ざっくばらんにいえば「キング」誌に『犬神家の一族』の連載が開始される直前まで)に刊行された夢野久作の著作のうち所蔵があるのは

『少女地獄』(黒白書房刊)
『暗黒公使』(新潮社刊)
ドグラ・マグラ』(松柏館書店刊)

の三点だけである。
蔵書の面だけから見れば可能性はゼロと言わざるを得ない。

ただし「所蔵はしていなくても何かの機会に読んだことはある」という点では可能性はゼロとは言い切れない。

地方新聞での発表であった『犬神博士』は
夢野久作没後の昭和11年、黒白書房版『夢野久作全集』第6巻に収録された。
この黒白書房版全集は残念ながら3冊出しただけで未完に終わったが、『犬神博士』という作品が
全国の広い範囲の読者に読まれるキッカケにもなった。
そう、一応、読むことができる「機会」は存在したといえる。


夢野久作が亡くなったのは昭和11年3月11日。
当然ながら、戦後の横溝正史の活躍を知らない。
夢野久作横溝正史は生前、直接会う機会はなかったようである。(今後の資料発見と研究次第では覆る可能性はあるかもしれないが)
両者が自身の作品……『犬神博士』と『犬神家の一族』……について対談する光景を想像するのは、
想像とはいえ、いささか夢想が過ぎるだろうか。


さてここまで考えを述べてきた
我ながら情けない話だが、自分でも何を書いているのか結果的に何を述べてたいのかわからなくなってきた。
ここで一旦幕を閉じ、更なる研究に取り組みたいと思う。

(をはり)



※主な参考文献
横溝正史『真説 金田一耕助』(角川文庫)
小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫)
金田一耕助自由研究」Vol3 (神保町横溝倶楽部)
世田谷文学館資料目録1 横溝正史旧蔵資料』(世田谷文学館)
西原和海編『夢野久作の世界』(平河出版)
『定本夢野久作全集』第2巻解説(国書刊行会)
その他多数