康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

個人的『びっくり箱殺人事件』メモ

※※※横溝正史『びっくり箱殺人事件』ディクスン・カー『盲目の理髪師』クレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』のネタバレがあります※※※

 

 

 

 

去る1月23日に開催されたオンライン読書会に合わせて横溝正史『びっくり箱殺人事件』を再読した。初読は確か中学3年、15歳の時だ。杉本一文氏による不気味な表紙イラストとは裏腹に、これまで読んできた横溝作品とは異なるドタバタとコミカルな雰囲気に戸惑いながらも面白く読んだ記憶がある。「モギャー」「タハハ」「チーララアのラララア」といった個性的な擬音は、今でもつい口にしてしまう心地よさがある。

 

『びっくり箱殺人事件』は昭和23年に発表された長編探偵小説である。舞台は戦後間もない頃の東京のレヴュー劇場。ショーの本番中に発生した殺人事件を深山幽谷と仲間達が解き明かす。後述するが、本作は作者自身が「笑劇(ファース、ファルスとも)」を意識して書いた為か、とにかくコミカル描写がてんこ盛りで「横溝正史作品の中では異色作」とも言われる。

今回改めて細かく読み返したが、決してコミカルなだけではない、本格探偵小説の姿が見えてきた気がする。

 

本作『びっくり箱殺人事件』は、『本陣殺人事件』や『獄門島』等で描かれた「トリック」よりも「ロジック」の色合いが濃い作品だというのが読書会後の感想である。

箱を開けるとびっくり箱よろしく短刀が飛び出してきて……というのが題名の由来になった一応のメイントリックである。「誰が仕掛けたのか」は言うまでもないが、これに本番の前に起きた楽屋裏での怪物団殴られ騒動の謎、箱を舞台へ上げたタイミング等も謎解きの項目に加わる。

殴られ騒動で顔の「半面」にブチが出来たとあるが、「ブチが出来たのは右か左か」は序盤では一人だけしか明かされておらず、中盤になって、「容疑者の一人が左利きであることから犯人ではない」という主旨の説明がなされるにあたって、怪物団のメンバーがどちらにブチが出来たのかもさりげなく明かさる。その他、登場人物の一人、マネージャーの田代信吉が発作を起こしたタイミングと合わせて、ある程度の犯人のしぼり込みが可能になっている。真犯人が姿を現す直前の第16章の結び方は、そのまま「読者への挑戦」を挿入出来そうな展開だ。

 

これだけ見ると、本格としてはどストレートなつくりになっているが、ここで読者の推理を惑わすのが全編に渡って繰り広げられるドタバタ(酒場での騒動、「モギャー」のお化けのおもちゃを巡るやりとり、独特な台詞まわし等)である。下手をすればくどくどしさが勝って全体の印象を損ねる恐れもあるが、本作『びっくり箱殺人事件』では横溝正史一流の語り口でスッキリ読みやすく程よいアクセントになっていると改めて思う。

第一の被害者・石丸啓助の存在感が薄めに感じられる等、紙数の関係か展開が早めに感じられることがあったが、『横溝正史研究5』にて浜田知明氏が『びっくり箱殺人事件』は主に人物の掘り下げを行ったうえで全面改稿される予定であったことを、遺された草稿を参照しながら考察を述べられていた。予定通り増補改訂されていたなら「巨匠の異色長編」から「戦後前半期屈指のノンシリーズ長編の名作」になっていたのではないか、とするのはいささか言が過ぎるだろうか。

 

ちなみに、本作の主人公・深山幽谷のモデルをはじめ、名前の元ネタや戦前~終戦直後の映画や芸能の歴史、ことわざ慣用句等のネタもふんだんに散りばめられており、それらを一つ一つ詳細を調べていくのも本作の醍醐味であろう。

 

 

さて、小林信彦との対談(『横溝正史読本』)にて横溝正史は『びっくり箱殺人事件』について、ディクスン・カー『盲目の理髪師』とクレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』に触発された旨を語っている。

今回『盲目の理髪師』と『素晴らしき犯罪』も合わせて読み進めてみたが、『びっくり箱殺人事件』には『盲目の理髪師』からインスピレーションを受けたのではないかと思われる箇所がいくつか見つかった。

例えば……(『盲目の理髪師』→『びっくり箱殺人事件』として)

 

・酔っぱらいの奇妙な癖

(人形遣いのフォータンブラ→幽谷の元マネ古川万十)

 

・刃物とその本数がヒントになる

(七本あるとされる特注の剃刀→シバラク君こと柴田楽亭の三本の短刀)

 

・マズい場面で鉢合わせ

(盗まれたエメラルドの像をこっそり戻そうとしたモーガンがホィッスラー船長と鉢合わせ→舞台の上で深山幽谷と紅花子のやり取りを停電解消で等々力警部が目の前で目撃)

 

・小道具を巡るドタバタ

(ウッドコックの新製品殺虫剤をいじくりまわしていたウォーレンが船長室を薬品まみれにしたうえにホィッスラー船長に直撃させてしまう→記者証を出そうとした野崎六助が等々力警部に「モギャー」を直撃させてしまう)

 

・散々な目にあう警察役

(ホィッスラー船長→等々力警部)

 

・暗がりの錯覚を利用

(フェル博士の指摘する10番目と16番目の手がかり→殴られ騒動と剣突謙造のタンコブ)

 

……等である。

 

一方クレイグ・ライスの『素晴らしき犯罪』では、花嫁と思われる女性の首なし死体という横溝好みの謎が提示される。遺体から首を切断し、真犯人に殺害された別の女性の遺体とすり替えるというのが真相だが、個人的には『びっくり箱殺人事件』よりも他の作品(例えば金田一ものの某長編とか)への影響という印象である。むしろ『素晴らしき犯罪』からは、他人に明かせない事情を各々抱えながら捜査に奔走する3人の探偵役(マローンとジェークとヘレン)の描写が、深山幽谷と紅花子のインネンや野崎六助の劇場外での活躍等々『びっくり箱殺人事件』の場面のヒントの一つになったのではないかと考える。

 

偶然似た所・細かい所をつついているだけかもしれないが、戦後、横溝正史は「密室の殺人」「顔のない死体」など探偵小説の様々な型に挑戦した。戦中のカー、戦後のライスという読書体験の中で、両作の「酔いどれのドタバタ騒ぎがヒントを巧みに隠し、最後にはキッチリとロジックをもって解決してみせる」笑劇型本格探偵小説の技巧に感心したのではないか。そしてはそれは、そのまま「自分も笑劇型本格探偵小説を書いてみたい」という創作意欲を掻き立てる燃料になっていったのではないかとも思う。過去の読書体験を戦後の創作に巧みに取り入れた横溝正史の手腕に改めて感服した次第である。

 

 

びっくり箱は、同じ箱なら中身がわかっているので二度目にはなかなか驚かないものだ。だが、このびっくり箱には、二度三度開けても新しい何かが飛び出してきていつも驚かされる。次に箱を開くときには、どんな驚きが飛び出てくるのだろう?(もちろん、グローヴも短刀も勘弁願いたいが)

 

 

 

参考文献

横溝正史『びっくり箱殺人事件』(角川文庫)

ジョン・ディクスン・カー『盲目の理髪師【新訳版】』(創元推理文庫)

クレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

横溝正史『探偵小説昔話』(講談社『新版横溝正史全集』第18巻)

横溝正史探偵小説傑作選Ⅲ』(論創社)

小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫)

横溝正史研究5』(戎光祥出版)

 

 

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