康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

一柳三郎の本棚

※※※横溝正史『本陣殺人事件』について若干のネタバレがあります※※※

 

 

 

横溝正史『本陣殺人事件』において謎解きの重要なカギとなるのが、探偵小説マニアである一柳三郎の本棚の存在である。彼の本棚は金田一耕助が驚嘆するほどの品揃えであり、地の文でも「探偵小説図書館」とも形容されている。金田一耕助もこの本棚を見て、事件解明の糸口の一部を見出だしたわけだが、改めてこのくだりを読み直すと、事件解決のヒントだけではなく時代背景や様々な推測が浮かぶのである。この本棚を通して、事件の真相以外に何が見えてくるのか、可能な限り探ってみたい。

 

「日本物では江戸川乱歩小酒井不木甲賀三郎大下宇陀児木々高太郎海野十三小栗虫太郎」……

国内作家で挙げられているのは、いずれも戦前期を代表する探偵小説作家たちであり、作者である横溝正史と親交が深かった人々だ。

江戸川乱歩は言うまでもなく横溝正史にとっての「常にわが側なる」存在。昭和12年のこの時期には『怪人二十面相』(昭和11年発表)に探偵小説評論と活動の幅を更に拡げつつあった。一柳家における事件の二年後昭和14年に短篇『芋虫』の全面削除を命ぜられ、翌年昭和15年を、自身の生い立ちや活動を集成したスクラップブック『貼雑年譜』にて「探偵小説全滅」と総括することになる。

 

小酒井不木はその乱歩の師匠的存在で、創作もさることながら、翻訳ーー特にドゥーゼ『スミルノ博士の日記』は横溝にも多大な影響を及ぼした。亡くなった昭和4年には改造社から医学関係の著書も網羅した全17巻の全集が改造社刊行されている。

 

戦前期においては長編『蛭川博士』が有名な大下宇陀児は、一柳家の事件が起きた昭和12年には「ロマンチック・リアリズム」に基づく中編『鉄の舌』を発表している。江戸川乱歩と並ぶ人気作家である為、こちらも乱歩ともども日本人作家の代表格として愛読したのだろう。

 

海野十三小栗虫太郎は両名とも戦前期を代表する人気作家であり、横溝正史とも縁が深い人物である。小栗虫太郎とは彼のデビュー作『完全犯罪』にまつわるピンチヒッターの逸話、海野十三とは戦後『本陣殺人事件』執筆前後の時期における往復書簡による交流が印象深い。この時期の代表作品は海野十三は『深夜の市長』『蠅男』「十八時の音楽浴」、小栗虫太郎は『黒死館殺人事件』『二十世紀鉄仮面』など。

 

さて、ここで挙げられている中で個人的に気になったのが木々高太郎である。

戦前期の木々高太郎といえば「探偵小説は謎解き中心であるよりも文学的であるべきか」という探偵小説のあり方を巡って甲賀三郎と論戦を交えた「探偵小説芸術論」論争と自論を作品という形で実践した『人生の阿呆』の連載・刊行、ならびに同作の直木賞受賞という日本探偵小説史に残る一連の出来事が知られるが、三郎はいち探偵小説マニアとして事の成り行きをリアルタイムで見ていたわけである。「密室の殺人」論もだが、この辺りの探偵小説情勢に関する三郎自身の私見も気になるところである。

 

対して海外作家については

エラリー・クイーンやディクソン・カー、クロフツやクリスチー等々々」と、現在でも多くのファンを持つ本格作家揃いである。

いずれも、横溝正史が敬愛した作家たちとして知られており、また当時邦訳が三作くらいしかなかったディクスン・カーを除けば戦前期にその作品の多くが翻訳され親しまれていた作家たちでもある。

一柳三郎といえばディクスン・カー(作中では「ディクソン・カー」表記)だ。

昭和12年頃までの主な邦訳は

『夜歩く』

『絞首台の謎

『魔棺殺人事件(『三つの棺』)』

の三作が知られている。作中三郎が挙げている『帽子蒐集狂の秘密』(『帽子収集狂事件』)と『プレーグ・コートの殺人』は事件当時、昭和12年時点では未訳。言うまでもなく、原書で読み込んだものとみられる。

ディクスン・カーについての評論は

翻訳家の井上良夫がいくつか書いているが

これらは『三つの棺』における「密室講義」について述べたもので、『探偵』等の専門誌に掲載されていたようだ。三郎がこのあたりもチェックしていたのかは定かでない。

なお、余談ながら。

事件後の昭和13年から15年頃には雑誌「新青年」にてカーの邦訳短編が数編掲載されていたことを明記しておく(※)。もし三郎が事件に関わらず、召集もされていなければ、これらの作品も耽読していたのだろうか。

国内作家に比べて挙げられている人数が寂しい気がしないでもないが、冒頭の「私」が連想する場面で挙げられている『エンジェル家の殺人』等の作品も、(原本、翻訳版の区別なく)三郎の本棚にもれなく納められているものと思われる。

 

海外作家といえば「未訳の原本」の詳細も気になるところである。

海外作品に限った話ではないが、三郎はどのようにしてコレクションを拡充させていったのだろうか。

 

戦前期の雑誌に翻訳掲載された海外怪奇小説を集めた『怪樹の腕<ウィアード・テールズ>戦前邦訳傑作選』における會津信吾氏の解説には、(パルプマガジンについては)戦前期においても個人で「国際郵便為替を組み、注文書を同封して」出版社に送る形で購入出来たとある。本の情報は、「新青年」等の雑誌の読者投稿欄や特集記事のようなページを活用して得ていたようだ。

このような形で、興味を持った作品を手に入れていったのだろう。

 

コレクションの中では、黒岩涙香の本が「古いところ」とされている。ここでいう「古いところ」が「刊行された時期」なのか「活躍した時期」なのかという厳密な部分はなんとも微妙なところだが、明治時代に刊行されたものを古書店で買い求めたとみるべきだろう。なお涙香没後も大正から昭和初期(もちろん、事件発生の昭和12年頃)にも刊行されている。

「博文館や平凡社から発行された翻訳探偵小説全集」や日本人作家の刊行本は新刊を書店(倉敷市内かあるいは岡山市内か)にて購入したとみるべきだが情報網が現代と比べて非常に限定される当時としては、単行本の巻末に掲載された広告の力ははかりしれなかっただろう。

広告といえば本棚の記述を読んでいて気になったことのひとつに「新青年」「探偵小説」等の「雑誌」について言及がなかったことがある。「雑誌連載リアタイ派ではなく単行本派だった」とも取れるが、インターネットという設備さえあれば膨大な情報が自宅にいながら手に入るという全世界的な情報網が発明される遥か以前のこの時代において、海外作品の近況や読者投稿欄等、知識とコレクションを拡充する情報源として欠かせないものであったはずだ。

答えを絞り出すとすれば……。

雑誌については、数は不明だが、所蔵はされていたのだろう。(ややメタ的な見方だが)冒頭でも述べたように三郎の本棚は、事件解決に至る重要なヒントである。『本陣殺人事件』の物語は、作者・横溝正史をモデルにしたと思われる「私」が村人たちの証言や当時の資料を基に探偵小説として再構成したという体裁である。本格探偵小説としてのヒントにする為に「某誌の何年の何月号に掲載された作品が……」というような混乱を招きかねない要素を小説にする過程で記録上から割愛したのかもしれない。

ただし、「神戸の私立専門学校を、これまた中途で退校させられた」とあるので、さほど長い期間ではないだろうが神戸にいた時期があった様子である。情報源、あるいは本の入手先の候補として記しておく。

 

以上、一柳三郎の本棚について考えを可能な限り述べた。今後も作品を再読する度に発見があるだろう。

 

『本陣殺人事件』が雑誌「宝石」に連載されたのは、戦後間もない昭和21年。三郎の本棚のシーンや金田一と三郎の探偵小説問答のシーンを読んだ当時の読者は、何を思っただろう。かつて読んだ作品への懐古か、まだ見ぬ作品への憧憬か……。

 

 

※『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫)巻末の掲載作品リストによると『透明人間』『存在しない部屋での殺人』『空部屋のラヂオ』『楽屋殺人事件』『葡萄棚の秘密』とのこと。原本をすべて確認出来たわけではないので今後の課題としたい。

主な参考文献

横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫版)

『探偵小説五十年』『新版横溝正史全集第18巻』(講談社)

江戸川乱歩江戸川乱歩全集』第24~30巻(光文社文庫)

貼雑年譜』(講談社江戸川乱歩推理文庫』特別補巻)

中島河太郎中島河太郎著作集』中嶋淑人編(論創社)

井上良夫『探偵小説のプロフィル』(国書刊行会)

長谷部史親『欧米推理小説翻訳史』(双葉文庫)

飯城勇三エラリー・クイーン Perfect Guide』(ぶんか社)

伊藤秀雄・榊原貴教『黒岩涙香の研究と書誌』(ナダ出版センター)

宮田昇『昭和の翻訳出版事件簿』

『怪樹の腕<ウィアード・テールズ>戦前邦訳傑作選』(東京創元社)

『幻の探偵雑誌9「探偵」傑作選』(光文社文庫)

『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫)

その他多数