康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

金田一耕助の復員ルート

横溝正史金田一耕助シリーズは、特に初期の作品は戦後間もない時期に発表されている為か戦地から帰還……復員が事件に深く関わっているものが多い。

名探偵・金田一耕助も復員兵としての経歴を持つが、そのことについて触れている描写は意外と少ない。私が把握している限りでは『獄門島』『百日紅の下にて』『犬神家の一族』くらいである。

 

今回は、金田一耕助の復員兵としての経歴から彼が戦地から日本へ帰還し獄門島へ至るまでのルートについての個人的な推測を可能な限り書き出してみたい。

 

まず、原作シリーズ内にて描かれている金田一耕助自身の復員について。

『獄門島』序盤において、金田一耕助は『本陣殺人事件』の後応召、最初の2年を大陸で、その後南方戦線を転々とし、昭和十八年から復員までニューギニアのウエワクにいたことが記されている。飢餓と病に脅かされるなか、戦場では遺体の様子を観察し死後硬直についての観察眼を鍛えていたようだ。そして日本への復員船の中で鬼頭千万太から依頼を受け、彼を看取る。

百日紅の下にて』の舞台は東京・市ヶ谷八幡にある佐伯邸跡。ニューギニアで死亡した友人の頼みを受け過去に起きた事件の真相について推理し、その後獄門島へ向かったことが書かれている。ここでの金田一耕助は復員服姿に南方焼けがあることから、復員直後であることがうかがえる。

犬神家の一族』では、ある人物が復員した直後に取った行動について、内地の情報を得るため収容所(引揚港内にあったという引揚者向けの宿舎のことか?)にそなえつけてある新聞に飛び付いたであろうことを、自身の経験を基に推理している。

以上が原作シリーズ内における描写だが、帰国した際の行動は他には何が考えられるだろうか?

『獄門島』では床屋の清公に、戦前東京に構えていた事務所は空襲で焼失した旨を話しており、『百日紅』の佐伯邸跡に向かう前か後に自身の東京における生活環境の現況を確認していたものと思われる。

東京から岡山の久保銀造宅を訪れるまでの間、どこかに立ち寄ったのかは作中記載がないため不明だが、獄門島に向かう船の中ではお馴染みの着物に袴姿なので必要最低限の衣服等はやはり久保銀造に預けていたのだろう。

これは小説ではなく引揚援護に関する記録や研究評論等からの推察だが、上陸した先の引揚援護局内では、復員に係わる処理(復員証明書の発行手続きや運賃等の受け取り等)の間、新聞で情報を得るほか、久保銀造宛に自身の復員報告と銀造の安否確認、また佐伯邸の位置確認等を行っていたのではないか。

 

金田一耕助が乗った復員船の入港先、即ち日本の地に戦後最初の一歩を踏んだ場所はどこか。史実と小説の記述を完全に一致させるのは困難(いや不可能?)だが、可能な限り考察してみよう。

復員・民間人の引揚げにおいては、もちろん各方面からの船が日本各地の港へ向けて手当たり次第に殺到したわけではない。各地に指定された引揚港に決まった地域からの船が(正確な入港日時は確実ではないにせよ)入港していた。

厚生省(現・厚生労働省)が昭和25年にまとめた『引揚援護の記録』に収録されている「方面別受入港一覧表」によると、ニューギニア方面からの船を受け入れていたのは主に浦賀、名古屋、田邊、大竹、佐世保であったとされている。

「絶対確実にここだ!」と断言するのは難しい。だが、原作の描写や金銭・交通状況を考えると一番可能性が高いのは、この中では一番東京に近い浦賀ではないかと思うのである。あくまで個人の推測であるのだが。(次いで主要引揚港であったという名古屋、田邊、大竹、佐世保……といったところか?)

 

つまり金田一耕助の復員から獄門島に至るルートは

 

ニューギニア・ウエワク→引揚援護港(浦賀?)→東京市ヶ谷八幡・佐伯邸跡→岡山・久保銀造宅→岡山・笠岡沖→獄門島

 

となるのではないか。

くどいようだが、原作小説と関係資料を基にしてはいるものの、あくまで個人の推測である。

 

以上、個人的な推測を書き連ねてみた。

金田一耕助シリーズにおける復員については今後も考察推察を重ねていきたい。

 

 

主な参考文献

横溝正史『獄門島』『犬神家の一族』『殺人鬼』(角川文庫版)

厚生省編『引揚援護の記録』(クルス出版)

田中博巳『復員・引揚げの研究』

若槻泰雄『戦後引揚げの記録』(時事通信社)

個人的『壺中美人』メモ

※※※横溝正史『壺中美人』「壺の中の女」についてネタバレしています※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

横溝オンライン読書会、今回は『壺中美人』がテーマである。本作の個人的な感想を、覚書程度に。

 

 

 

 

「壺中美人」こと楊華嬢の正体とその末路が印象的だったが、今回改めて読み返すと、自家用車を利用したアリバイ工作や不倫をはじめとする交錯した人間関係と、盛りだくさんだがややスッキリしない印象を受けた。『壺中美人』は短編「壺の中の女」を改稿、約6倍の増量になっているわけだが、更なる改稿を見込んでいたのだろうか、とふと思った。

 

個人的には、自家用車……ヒルマンとトヨペットを利用したアリバイ工作は、これはこれで別途短編を組むか、 もう少し練り込んだら(発表された当時における)現代的なアリバイトリックになったのではないかとも思ってしまった。

序盤の、何気なく見ていたテレビ中継から

謎解きの重大なヒントを金田一耕助が見いだしていたという伏線は見事で、家庭用テレビという、その当時の最新家電を探偵小説に盛り込むという才覚はいつ読んでも見事である。

 

原型短編「壺の中の女」では「猟奇の徒」と表現されていた金田一耕助が、改稿の『壺中美人』では孤独とメランコリーな一面を見せる人物として描かれているのも興味深い。等々力警部との交流もだが、私生活(朝食とか……)が垣間見えるのもポイントが高いのではないか。それにしても、「いちごクリーム」の正体はいったい何なのだろう。本作、いやシリーズにおける最大の謎といえよう。

 

首を傾げる場面も多々あったが、面白い作品であった。

今後は、金田一耕助が昔読んだという「探偵小説」の正体について調べを進めようと思う。

 

 

参考文献

横溝正史『壺中美人』(角川文庫版)

金田一耕助の帰還』(光文社文庫版)

 

 

「押絵の奇蹟」から横溝作品へ

※※※夢野久作「押絵の奇蹟」横溝正史「面影双紙」「蠟人」の重要な部分に触れています※※※

 

 

 

 

 

以前、夢野久作「押絵の奇蹟」と横溝正史「孔雀屏風」『八つ墓村』の共通点、影響の具合について考察を試みたことがあったが、その後、他の人に教えていただいたり、再読を進めるうちに思うこともあったので、簡単にまとめてみることにする。

 

①「面影双紙」

昭和7年発表。大阪の薬問屋の主人「R・O」が、友人であり聞き手である「私」に自身の少年時代に起きた両親を巡る出来事について語る、というのが大体のすじだ。

謹厳実直な父と派手好きの母、母の不倫相手らしい歌舞伎役者、ある日行方不明になった父と突然届いた骸骨模型、自身と歌舞伎役者との容姿の酷似……と「押絵の奇蹟」に通じる要素もあるが、一番の特徴は「方言まじりの語り口」だろう。

初期の短編「災難」ほどでないが、「面影双紙」も方言と標準語が程良く混ざり合った語りで、それが親子の血の繋がりの因縁話を妖しく彩っている。

「押絵の奇蹟」も江戸川乱歩が指摘したように博多の方言と主人公・トシ子による書簡体の語りが巧みに描かれ、淡いノスタルジアを醸し出しているといえよう。

 

②「蠟人」

昭和十一年発表。

主人公の珊瑚と美青年騎手・今朝治、珊瑚の「旦那」である繭買いの山惣の三人が辿った悲恋の物語。

題名にある「蠟人」は終盤で重要な役割を担う、今朝治に瓜二つの蠟人形のこと。酒の酔いと嫉妬に狂った山惣が、暗がりの中でかざした蝋燭の明かりのなかにその幻影が浮かぶ様は、いつ読んでも凄まじい妖気のようなものを感じざるを得ない。

珊瑚と今朝治は山惣の目を盗んで会瀬を重ねるが、いわゆる「体の関係」はなかったと明言されている。さらに今朝治は山惣に謀られ、男性としての能力を奪われてしまう。ここで気になるのが序盤の、珊瑚と今朝治が初めて出会う場面の最後

 

「なにゆえか珊瑚の瞳のなかに強く残ったらしいのでした」(ちくま文庫版『怪奇探偵小説傑作選2  横溝正史集』199ページ)

 

という一文だ。この後、病の為視力を失った珊瑚が産んだ子どもの容貌が、今朝治に瓜二つという展開があり「押絵の奇蹟」のテーマでもあった「母親の印象に強く残った容貌が自らの子に受け継がれる」という点に共通するものがある。

 

 

「押絵の奇蹟」は作中でも言及される『南総里見八犬伝』と「阿古屋の琴責め」がモチーフの源流であり、幼少期から芝居等を愛好した横溝正史も同じ似たような構想を得るのも不思議ではない。

しかしながら、同じモチーフを、両作家がどう描いたかを改めて見直すことは、新たな発見と作品への愛着に繋がるのではないか。

 

この点、今後ももう少し詰めてみたい。

 

※参考文献

夢野久作全集』第3巻(ちくま文庫)

『怪奇探偵小説傑作選2  横溝正史集』(ちくま文庫)

 

悩ましき二大長編について

※※※横溝正史八つ墓村夢野久作ドグラ・マグラ』のネタバレがあります※※※

 

 

 

 

 

数年前から、どう挑んだものか、どう形にしたものかと悩みに悩んでいたテーマがある。

横溝正史八つ墓村』と夢野久作ドグラ・マグラ』について」だ。

正直、自分自身の中でも固まりきっていないのだが、今回考えていることをつれづれにはき出してみたい。

 

 

ドグラ・マグラ』も『八つ墓村』も「探偵小説」に分類されるが、『ドグラ・マグラ』は端的に言えば「記憶を失った主人公が、自身の記憶を取り戻そうとする物語」なのだが、作中の大半を占める論文と経文、二転三転する証言や論説が夢野久作独特の文体で語られ内容を要約するのが困難である。異論はあるだろうが、強いて言えば「変格」ということになるのだろう。

片や『八つ墓村』は落武者伝説と過去に発生した大量惨殺事件が影を落とす山村を舞台にした伝奇小説的雰囲気を備えた「本格探偵小説」である。「山村を舞台にした連続殺人を描きたい」という作者の構想のもと、坂口安吾アガサ・クリスティーの長編本格ミステリに触発され、かつ当時の「新青年」という掲載誌の特色を考慮した構造になっており、作風が異なる両作を比較考察すること自体ナンセンスかもしれない。

 

しかしこの両作、「子と父の葛藤」という共通するテーマが見受けられる。

ドグラ・マグラ』は主人公の「私」を中心に、正木博士と若林博士の互いの学説をめぐる暗闘も描かれており、正木博士が「呉一郎」こと「私」の父親であり黒幕……と思わせる展開を見せつつも、結局「私」は先祖とされる「呉青秀」らの幻覚(?)を目にしながら「ブーーン……」と鳴り響く迷宮の中に戻っていく。

一方『八つ墓村』では、主人公・寺田辰弥は自身の本当の父親が村人三十二人を惨殺した田治見要蔵であると明かされ、村人たちはおろか警察からも疑いの目を向けられ苦悩する。村人たちの襲撃から逃れるべく鍾乳洞をさ迷い、名探偵金田一耕助とは別のルートから事件の解決を見た辰弥は、村の僧侶「英泉」から、辰弥の母・鶴子の恋人であった「亀井陽一」こそが辰弥の真の父であり「英泉」がその「亀井陽一」の現在の姿であったことを明かされる。真の出自が明らかになった辰弥は、愛する人とともに新しい人生を歩み始める――。

見ようによっては、『ドグラ・マグラ』では果たされなかった「出自を巡る謎の解明」と「苦難からの解放」「幸福の獲得」を『八つ墓村』で実現されたかのようにも取れるではないか。

 

ドグラ・マグラ』で問われながらも明確な結論が出ないままになっているこのテーマが『八つ墓村』で解決されたとしたら……さすがに妄想もとい想像が過ぎるだろうか。

夢野久作からは『ドグラ・マグラ』刊行当時横溝正史宛に献本があったとされ『横溝正史読本』では「こわくて読めない」「とびとびにしか読んでいなかった」と小林信彦に語っている。実際のところ構想と執筆にどのくらい影響したかはわからない。それこそブーーン……の響きの中だ。

取り急ぎ書き出してみた。投稿前に読み返してみたが、なんともとりとめのないものだ。今後さらに煮詰めていきたいと思う。

 

 

 

参考文献

夢野久作ドグラ・マグラ』(教養文庫)

横溝正史八つ墓村』(角川文庫)

横溝正史読本』(角川文庫)

夢野久作の世界』(平河出版社)

その他多数

 

 

 

チョコっと小話

去る2月14日はバレンタインデー、バレンタインデーといえばチョコレートである。

チョコっとした小話を少し。

 

チョコレートを口に含んでウイスキーをちびちびやるのがこの時期の個人的な楽しみなのだが、このやり方をどこで知ったかといえば、江戸川乱歩のエッセイ「酒とドキドキ」なのである。たしか初読は光文社文庫版全集の『わが夢と真実』だったと記憶している。ウイスキーの肴にチョコレート、口の中でウイスキーボンボン気分、という乱歩の食べ方に興味を持ち「ならば」と真似しはじめたのであった。

 

対して我らが横溝正史

エッセイ集『真説 金田一耕助』によれば、70年代のブーム真っ只中の時期には角川を通じて「横溝正史先生方」「金田一耕助様」宛にチョコレートが贈られてきていたとか。(「バレンタイン・デーの恐怖」より)そういえば『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』収録のCLAMP氏のインタビューに「当時同級生が金田一耕助宛にチョコレートを贈った」旨の記述があった(74ページ上段部分参照)。このエッセイが書かれた時期に数多く贈られていたであろうチョコレートの中にもしかしたら……と妄想もとい想像するのも楽しいエピソードだ。

ところでこのエッセイには当時発生した青酸チョコ事件の話と絡めて、毒入りチョコレートが登場する2作の探偵小説の話も少し記されている。ここで語られている作品は、題名は書かれていないものの、記載されているあらすじで何となく「あの名作か」と察しがつく。自身の作品で幾度か毒入りチョコレートを登場させた横溝正史らしいが、あの場面の元ネタはこれらの作品からだろうか?

 

その横溝正史江戸川乱歩が実際当時リアルタイムで読んだのかはハッキリしないが『毒殺六人賦』を読み終えることが出来た。「新青年昭和9年8月号に掲載されたもので、要するに、アントニイ・バークリーの代表作『毒入りチョコレート事件』の翻案である。その当時の100枚長編……というのは現代だと中編くらいの分量になるのだろうか?調査行の様子が割愛され、各々の推理が章ごとに展開される形になっている。舞台を当時の東京に置き換えているので妙にモダンな雰囲気がほのかに香るような気がしないでもないのが印象的だった。急ぎで読んだので今度またゆっくりと読み直したい。

 

ちなみに私はいつもチョコレートはビターを選ぶことが多い気がする。あと、たまに食べるビックリマンチョコは、美味い。

 

今回の参考文献は

江戸川乱歩『わが夢と真実』(光文社文庫『版江戸川乱歩全集』第30巻)

横溝正史『真説 金田一耕助』(毎日新聞社版)

『探偵小説昔話』(講談社版『新版 横溝正史全集』第18巻)

横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)

新青年昭和9年8月号(博文館)

(以下創元推理文庫版)

アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』

カーター・ディクスン『白い僧院の殺人』

江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集3』

個人的『びっくり箱殺人事件』メモ

※※※横溝正史『びっくり箱殺人事件』ディクスン・カー『盲目の理髪師』クレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』のネタバレがあります※※※

 

 

 

 

去る1月23日に開催されたオンライン読書会に合わせて横溝正史『びっくり箱殺人事件』を再読した。初読は確か中学3年、15歳の時だ。杉本一文氏による不気味な表紙イラストとは裏腹に、これまで読んできた横溝作品とは異なるドタバタとコミカルな雰囲気に戸惑いながらも面白く読んだ記憶がある。「モギャー」「タハハ」「チーララアのラララア」といった個性的な擬音は、今でもつい口にしてしまう心地よさがある。

 

『びっくり箱殺人事件』は昭和23年に発表された長編探偵小説である。舞台は戦後間もない頃の東京のレヴュー劇場。ショーの本番中に発生した殺人事件を深山幽谷と仲間達が解き明かす。後述するが、本作は作者自身が「笑劇(ファース、ファルスとも)」を意識して書いた為か、とにかくコミカル描写がてんこ盛りで「横溝正史作品の中では異色作」とも言われる。

今回改めて細かく読み返したが、決してコミカルなだけではない、本格探偵小説の姿が見えてきた気がする。

 

本作『びっくり箱殺人事件』は、『本陣殺人事件』や『獄門島』等で描かれた「トリック」よりも「ロジック」の色合いが濃い作品だというのが読書会後の感想である。

箱を開けるとびっくり箱よろしく短刀が飛び出してきて……というのが題名の由来になった一応のメイントリックである。「誰が仕掛けたのか」は言うまでもないが、これに本番の前に起きた楽屋裏での怪物団殴られ騒動の謎、箱を舞台へ上げたタイミング等も謎解きの項目に加わる。

殴られ騒動で顔の「半面」にブチが出来たとあるが、「ブチが出来たのは右か左か」は序盤では一人だけしか明かされておらず、中盤になって、「容疑者の一人が左利きであることから犯人ではない」という主旨の説明がなされるにあたって、怪物団のメンバーがどちらにブチが出来たのかもさりげなく明かさる。その他、登場人物の一人、マネージャーの田代信吉が発作を起こしたタイミングと合わせて、ある程度の犯人のしぼり込みが可能になっている。真犯人が姿を現す直前の第16章の結び方は、そのまま「読者への挑戦」を挿入出来そうな展開だ。

 

これだけ見ると、本格としてはどストレートなつくりになっているが、ここで読者の推理を惑わすのが全編に渡って繰り広げられるドタバタ(酒場での騒動、「モギャー」のお化けのおもちゃを巡るやりとり、独特な台詞まわし等)である。下手をすればくどくどしさが勝って全体の印象を損ねる恐れもあるが、本作『びっくり箱殺人事件』では横溝正史一流の語り口でスッキリ読みやすく程よいアクセントになっていると改めて思う。

第一の被害者・石丸啓助の存在感が薄めに感じられる等、紙数の関係か展開が早めに感じられることがあったが、『横溝正史研究5』にて浜田知明氏が『びっくり箱殺人事件』は主に人物の掘り下げを行ったうえで全面改稿される予定であったことを、遺された草稿を参照しながら考察を述べられていた。予定通り増補改訂されていたなら「巨匠の異色長編」から「戦後前半期屈指のノンシリーズ長編の名作」になっていたのではないか、とするのはいささか言が過ぎるだろうか。

 

ちなみに、本作の主人公・深山幽谷のモデルをはじめ、名前の元ネタや戦前~終戦直後の映画や芸能の歴史、ことわざ慣用句等のネタもふんだんに散りばめられており、それらを一つ一つ詳細を調べていくのも本作の醍醐味であろう。

 

 

さて、小林信彦との対談(『横溝正史読本』)にて横溝正史は『びっくり箱殺人事件』について、ディクスン・カー『盲目の理髪師』とクレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』に触発された旨を語っている。

今回『盲目の理髪師』と『素晴らしき犯罪』も合わせて読み進めてみたが、『びっくり箱殺人事件』には『盲目の理髪師』からインスピレーションを受けたのではないかと思われる箇所がいくつか見つかった。

例えば……(『盲目の理髪師』→『びっくり箱殺人事件』として)

 

・酔っぱらいの奇妙な癖

(人形遣いのフォータンブラ→幽谷の元マネ古川万十)

 

・刃物とその本数がヒントになる

(七本あるとされる特注の剃刀→シバラク君こと柴田楽亭の三本の短刀)

 

・マズい場面で鉢合わせ

(盗まれたエメラルドの像をこっそり戻そうとしたモーガンがホィッスラー船長と鉢合わせ→舞台の上で深山幽谷と紅花子のやり取りを停電解消で等々力警部が目の前で目撃)

 

・小道具を巡るドタバタ

(ウッドコックの新製品殺虫剤をいじくりまわしていたウォーレンが船長室を薬品まみれにしたうえにホィッスラー船長に直撃させてしまう→記者証を出そうとした野崎六助が等々力警部に「モギャー」を直撃させてしまう)

 

・散々な目にあう警察役

(ホィッスラー船長→等々力警部)

 

・暗がりの錯覚を利用

(フェル博士の指摘する10番目と16番目の手がかり→殴られ騒動と剣突謙造のタンコブ)

 

……等である。

 

一方クレイグ・ライスの『素晴らしき犯罪』では、花嫁と思われる女性の首なし死体という横溝好みの謎が提示される。遺体から首を切断し、真犯人に殺害された別の女性の遺体とすり替えるというのが真相だが、個人的には『びっくり箱殺人事件』よりも他の作品(例えば金田一ものの某長編とか)への影響という印象である。むしろ『素晴らしき犯罪』からは、他人に明かせない事情を各々抱えながら捜査に奔走する3人の探偵役(マローンとジェークとヘレン)の描写が、深山幽谷と紅花子のインネンや野崎六助の劇場外での活躍等々『びっくり箱殺人事件』の場面のヒントの一つになったのではないかと考える。

 

偶然似た所・細かい所をつついているだけかもしれないが、戦後、横溝正史は「密室の殺人」「顔のない死体」など探偵小説の様々な型に挑戦した。戦中のカー、戦後のライスという読書体験の中で、両作の「酔いどれのドタバタ騒ぎがヒントを巧みに隠し、最後にはキッチリとロジックをもって解決してみせる」笑劇型本格探偵小説の技巧に感心したのではないか。そしてはそれは、そのまま「自分も笑劇型本格探偵小説を書いてみたい」という創作意欲を掻き立てる燃料になっていったのではないかとも思う。過去の読書体験を戦後の創作に巧みに取り入れた横溝正史の手腕に改めて感服した次第である。

 

 

びっくり箱は、同じ箱なら中身がわかっているので二度目にはなかなか驚かないものだ。だが、このびっくり箱には、二度三度開けても新しい何かが飛び出してきていつも驚かされる。次に箱を開くときには、どんな驚きが飛び出てくるのだろう?(もちろん、グローヴも短刀も勘弁願いたいが)

 

 

 

参考文献

横溝正史『びっくり箱殺人事件』(角川文庫)

ジョン・ディクスン・カー『盲目の理髪師【新訳版】』(創元推理文庫)

クレイグ・ライス『素晴らしき犯罪』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

横溝正史『探偵小説昔話』(講談社『新版横溝正史全集』第18巻)

横溝正史探偵小説傑作選Ⅲ』(論創社)

小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫)

横溝正史研究5』(戎光祥出版)

 

 

スペシャルサンクス

横溝オンライン読書会参加者の皆様

思い出のエラリー

現在私は時間を見つけて某会の会報用アンケートを少しずつ書いているのだが、ふと、エラリー・クイーンの名前を最初に知ったのはいつごろだったっけと思った。

今回はちょっと思い出に浸ってみたいと思う。

 

エラリー・クイーン(に限らずディクスン・カー等の海外作家)の名を初めて知ったのはやはり横溝正史の小説とエッセイがキッカケだったので大体14~15歳、中学時代である。更に中3の春頃、文春文庫版『東西ミステリーベスト100』(旧版の方)を地元の古書店で購入し愛読したことも加わる。海外作品のベストワンが『Yの悲劇』、他にも『Xの悲劇』『ギリシャ棺の謎(秘密)』『災厄の町』もランクインしていたと思う。ここで「エラリー・クイーンという作家はこういう作品を書いていて評価されている」というある程度の知識を得たのであった。

 

初めてクイーン作品に触れたのは高校時代だ。

私が通っていた高校の図書室には創元推理文庫のいわゆる「おじさんマーク」が背表紙についた版のエラリー・クイーン作品がズラリと並んでいた。少なくとも「悲劇(レーン)四部作」「国名シリーズ」「冒険」「新冒険」はあったと思う。

「アッ!エラリー・クイーンだ!」

名前だけは知っていた作家の作品、予備知識的なものはほとんど持っていないが、読んでみたかった作家の作品……。

当然、16歳になったばかりの私は喜び勇んで挑戦するのだが…………挫折した。ハッキリ言って、その当時の私の読解力では難解・高尚すぎたのである。ここで苦手意識がついてしまう。「読まなきゃな」と思いつつも手を出せずに三年間を過ごした。苦い挫折感が残った。

 

では「実際に作品を初めて読了したのはいつか」というと、高校を卒業して進学した19歳の春頃だったと記憶している。読んだのは『ローマ帽子の謎』(創元推理文庫版)だった。この段階ではまだあまりピンと来ていない。

エラリー・クイーン、面白いな」と思ったのは『Xの悲劇』と『Yの悲劇』を読んでからで、決定的だったのは社会人になってから読んだ北村薫『ニッポン硬貨の謎』だ。どういう経緯でこの作品を読もうと思ったのか記憶は定かではない。ただ、この作品を読むにあたって『シャム双子の謎』を読み、改めて『ニッポン硬貨の謎』を読み終えると「エラリー・クイーンて今まで敬遠していたけど、すごく面白いんじゃないのか」と思うようになった。

 

それから『災厄の町』を読んだ。『フランス白粉の謎』からスタートして国名シリーズを読んだ。そして『エラリー・クイーンの新冒険』の「神の燈」を読んだ。『靴に棲む老婆』を読んだ。少し経ってから『フォックス家の殺人』と『十日間の不思議』を読んだ。

…………不可解な事件と謎の提示、魅力的な登場人物たち、論理的な推理、鮮やかな解決…………

……気がつけば、全作品、というわけではないがあれやこれやとクイーン作品を読んでいた。高校時代、あれほど敬遠していたのが今では大好きな作家の一人(フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーのコンビなので厳密には二人)だ。

そして現在に至る。

 

今、再び『ローマ帽子の謎』を読んだ。新訳版で新鮮な気持ちで読み終えることが出来た。詳しい感想はアンケートに書くとして、ただただ面白かった。

再読と回想を終えた今、しばらくは新訳版で再読リレーを行い、まだ手をつけていない作品に触れるとしよう。