康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

Dicksonのson―もしくは個人的カー回想のようなもの

ここ最近は創元推理文庫の新訳版でカーの『連続自殺事件』から『爬虫類館の殺人』へと読み進めている。奇しくも2作品とも意外な真相だけでなく「第二次大戦の頃が舞台」で「男女のいがみ合いとロマンス」が絡むお話で興味深く読んでいる。

さて……カーといえば極めて私事ではあるが、こんな思い出がある。

それは私が14歳の時、中学2年の冬休み手前くらいの頃。カーの作品を読んでみたいと近所にある県立図書館を訪れた。

カーの名を私はエラリー・クイーンやヴァン・ダインと同様に横溝正史の小説・エッセイでその存在を知った。特にエッセイ『真説 金田一耕助』では、翻訳家の井上英三からの熱弁を受け原書を借りて読んでみると想像以上に面白く、その後の創作に多大な影響を及ぼしたという旨の記述に心躍らせた。あの横溝正史先生がここまで誉めているのだから絶対面白いに違いない。そう思った私は期待を込めて検索をかけたのだが……結果は

「所蔵していません」

当時の県立図書館の検索システムが構造上そうなっていたのか、私自身の調べ方が悪かったのか、全くヒットしないのである(今思えば作者名ではなく作品名で検索をかければよかったのだが、超絶初心者なうえに生来のものぐさ故の悲しさで題名がうろ覚え未満の状態で思い出せず、作者名しか覚えていなかったのだ!)。

「きっと、長崎の図書館には置いていない、東京の国会図書館とかにしか置いていない貴重な作品なのだ」

今以上に単純極まりない思考をしていた私はそう思い込み、早くも諦めてしまって月日が流れた。

高校に進学し、行動範囲が拡がった私の放課後の楽しみとして古本屋通いがあった。特に、その当時長崎駅前にあった某古本チェーン店は通学路の途中にあるうえになかなかの品揃えだったので時間を見つけてはちょくちょく通っていた。さて、ある日の帰り道。ぶらりとその店に立ち寄ると新規入荷コーナーの棚で一冊の本を見つけた。

ディクスン・カー『不可能犯罪捜査課』(創元推理文庫版)

夢に見たカーの本である!お値段もお手頃、本を取りさてレジへ向かわんとした時にある事に気づいた。

「あれ、ディク「ス」ン・カー……?」

横溝正史のエッセイでは「ディクソン・カー」とあった。その為この瞬間まで「ディク「ソ」ン・カー」と認識していた。だが今手に持っているこの本には「ディク「ス」ン・カー」とある。

「ディク「ソ」ン・カー」と「ディク「ス」ン・カー」……カーの名前のスペルはJhon Dickson Carr 、Dicksonのsonを横溝正史はじめ先人たちは「ソ」と読み、後年本来の発音に近いと思われる「ス」で訳され表記されるようになったのだろう。あの日の「所蔵していません」の理由がわかった気がした。

その後県立図書館にて「ディクスン」表記で検索をかけるとハヤカワ・ミステリ文庫版を筆頭にいくつか所蔵作品がヒットした。検索機の前でダーッと腰砕けみたいに拍子抜けしたのを覚えている。横溝正史先生たち先人たちは悪くない、悪いのは、「そういうものだ」と思い込んで「もしかしたら」に思いがよらなかった私自身である。

もしもあの時……いや、横溝正史作品を通じてようやく読書への苦手意識を克服しつつあったその当時の我が貧弱な読解力を考慮すれば、ある意味では良き「すれ違い」であったとも思える。そう思うことにした。高校の時点でも卒業するまでエラリー・クイーン作品に苦手意識を抱いていたのだ。あの頃の私に『プレーグ・コートの殺人』や『帽子蒐集狂事件』『三つの棺』等のカー作品の面白さを理解出来たか、今でもいささか自信がない。

本との出会いには適切な時期・タイミングがあるものだ、「そういうものだ」と思い込まず「もしかしたら」と思考することは人生で重要なことだという個人的教訓となった(教訓と言いつつ実際には、今でもよく似たような失態をやらかすのだが)。

ディクスン・カーの名を目にする度に思い出すこの頃である。

書き込みのある本

古本屋巡りやネットオークション、ネット通販等を通じて古い本を入手することを趣味にしているが、稀に前の持ち主によるものと思われる書き込みがされている本に出会うことがある。今回はなかなかに興味深い書き込みのある一冊をご紹介したい。

 

フィルポッツ作・井上良夫訳『赤毛のレドメイン一家』

「世界探偵名作全集」の第一巻として柳香書院より昭和10年10月20日発行、奥付によると別冊付録として小雑誌「クルー」第一集が付属していたようだ。

私が入手したのは函や小雑誌等の付属品がついていない単品……いわゆる「函欠本」「裸本」である。過日、「日本の古本屋」のサイトで検索をかけた際にヒットし、個人的にお手頃プライスだった為即注文・購入した。お支払いを終え、商品が無事届き、封を開けて本を手に取った時の感想は「やけに雅な装丁だな」というものだった。もう少し落ち着いた色合いのシンプルなデザインを想定していたが、妙に雅なデザインなのである。よくよく見れば和柄の色紙か何かを本体に貼り付けてあるようだ。

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本棚に並べるとこんな感じ。

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表紙を開くとさらに驚いた。海外の雑誌から切り抜いたものなのか判然としないがフィルポッツの肖像と英文のプロフィールが貼り付けられていた。

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さらに項を繰る。本書には物語本編の前に訳者である井上良夫による「序」と「フィルポッツ小伝」(無記名、井上良夫によるものか?)が収録されているのだが「序」の終わりに書き込みがされていた。

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「遂に批評することが出来なかった。あまりにも偉大であったからだ」「忽ちフィルポッツ・ファンとなる」「本邦に於て彼が検討される時を期す」……鉛筆で綴られた短めのこの一文に、本書を読み終え感慨に浸る読者の姿が目に浮かぶ。

本編の冒頭にも筆記体で書き込みあり。

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判読が難しいが、やはり誉めているのだろうか。

そして裏表紙側の書き込みに目を見張った。

本書を読み終えた後の感慨と思われる長文がびっしりと書き込まれているのである。

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旧字体で、さらに所々糊付かシールかを剥がした際によるものと思われる破れがある為完璧な判読は難しい。要約すると英国探偵小説……特にコリンズ『白衣の女』ドイル『バスカヴィル家の犬』フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』を激賞、こと「探偵小説の形式をふみ余情家の如きもの」として『赤毛のレドメイン家』を愛するとしているようである。もっとも英国の探偵小説を愛するあまりか日本やアメリカの探偵小説を「邪道に進みつつあり」、フランス等の探偵小説も「死して影なし」と強い表現で評しているのが若干気にかかるが、江戸川乱歩を筆頭にフィルポッツ『赤毛のレドメイン家』を名作に推す人が多いなかで、ここまで本作への熱情ほとばしる感想文、いや感慨文はちょっと珍しいように思う。活字になっていない、雑誌や論文誌にも載っていない、おそらく無名の、長い年月、時の流れのなかで確かに存在した人物が書き残した熱情……。これらの書き込みに触れた後、この一冊は函付の極美本に勝るとも劣らない貴重な一冊と化したのである。

 

この本は、戦火や災害を潜り抜け、人から人へと手に渡り、偶然目にした私の手に渡った。この書き込みを記した前の持ち主がどうなったのかはわからないが、物語本編とはまた異なる浪漫に浸りつつ、今後もこの本を珍重していきたい。

「海野十三と日本SF」展!

去る7月26日に「海野十三と日本SF」展(世田谷文学館)に行ってきた。海野十三の生涯と作品、他作家との交友や戦後SFへの影響についてのコレクション展。世田谷文学館はあこがれスポットの一つであったが、ようやく行くことが出来た。

会場内は撮影不可、展示品の数々をこの目にしかと焼きつける。今回は後期展示ということで一部展示品に入れ替えがあった様子、またA3両面印刷の「出品リスト」が配布され、海野十三から横溝正史に宛てた手紙の翻刻がファイリングされ会場内で閲覧できた。

ここでは展示品の中から気になったものをピックアップして簡潔ではあるが所感を記していく。

 

・読みなれた作品も「展示」という形で初出誌や初刊本を見るとまた味わい深い印象。『赤外線男』の挿絵は、とある指摘を受けてハツと。

 

・『軍用鼠』初刊本、古今荘書房版の函つきはすごく珍しいとの指摘あり。函はシンプル、本は細かい書き込みと高井貞二の装丁が目を惹く。函は背の部分が無かったが、元々そうなのか?(筒函装?)

 

・戦後間もない昭和20年代前半に刊行された書籍の数々。『振動魔』『鏡から抜け出した女』等、戦前戦中とは打って変わって扇情的画風の中に鋭さが混じるデザインという印象。表紙のカラー部分は脱色が少なく保存状態が非常に良いとの指摘あり。

 

海野十三『少年原子艇長』『原子力少年』て単行本収録あったっけ

 

・次男さんが子どもの頃に描かれた絵も展示。内容は時代的に「大砲(野砲?)で砲撃中の日本兵」と戦争を描いたもの。お父さんの十三も絵が上手い人だった。

 

海野十三が想像で描いた高木彬光の似顔絵。高木の『刺青殺人事件』を読んだ際の印象をベースに描いたらしい。若干小栗虫太郎の印象もあるような……

 

他の作家についての展示もあり、中でも

 

小栗虫太郎黒死館殺人事件』原稿、自筆校正、松野一夫による『黒死館』挿絵も展示。図録等でなんども見てきただけに実物を間近に感激も大きい。

 

星新一の草稿が胡麻粒大の小さな文字でビッシリ書かれたものだったのには仰天した。虫眼鏡がないと読み込みは厳しい……

 

この2点について強烈な印象が残った。

 

さて、この展示会で外せないのはやはり「海野十三から横溝正史に宛てた手紙」の数々であろう。

 

・便箋に書いたものから半紙に筆書きしたものと形態様々でまさに「日文矢文」のやりとり。内容も体調を気遣ったり、お見舞いのお礼と日常的なものや出版関係(いつの分だったか本を刊行してくれた出版社の社長が逮捕された(元軍人か何かで戦犯関係か?)云々の話もあったと記憶している)の話題もあり。

 

・横溝からの科学知識に関する問い合わせに対して十三からの懇切丁寧な回答も微笑ましい。『獄門島』執筆時には吊り鐘の力学について十三に教えを得た逸話があるが、こんな感じのやりとりだったのだろうか。

 

・中には「ダイアモンドを軍事利用(?)することについて」についての横溝側からの問い合わせと十三による回答というのもあった。軍事利用ではないものの、ダイアモンドと科学知識については横溝正史のとあるジュヴナイル作品を連想したが果たして。

 

・十三から横溝への結果的に最後となってしまった手紙、そのことについて記した横溝の追悼文『断腸記』原稿も展示。手紙の内容は「もう大丈夫ですから」と……

 

以上、簡潔ながら展示見学の感想を述べてきた。「大阪圭吉展」でも思ったが、実際に初出誌と初刊本、原稿の類の実物を間近に見るのは、やはり良い刺激になると改めて実感した。読みなれた作品、作者本人や関係者への印象のアップデート、再発見新発見……

この感覚は今後も大切にしていきたい。

 

なお、今回は前日の「大阪圭吉展」見学から引き続き、いつもお世話になっている相互フォロワーのお2人にもご同行いただけた。

改めまして、この場で御礼申し上げます。

 

 

 

……ところで、横溝正史が昭和23年に書いていた日記が展示されていたが、あれは全文公開というか、翻刻刊行とかはないのだろうか……

大阪圭吉展!

去る7月25日と26日に、東京・神田神保町の東京古書会館で開催されていた「大阪圭吉展」に行ってきた。直筆の原稿、画像でしか見たことのなかった初刊本の実物、交友関係のある作家・編集者たちからの手紙の数々……実に感動的な、素晴らしい展示であった。

原稿については、作者である大阪圭吉の筆跡や推敲の形跡という「個人の個性」がうかがえる部分はもちろん、読んだことのある作品が原稿用紙○枚分の分量だったのか、という気付きが得られた。蘭郁二郎等初めて見る他作家たちの筆跡も印象的だった。やはり、原稿や書簡、初刊本や初出誌の数々の「実物」を間近にじっくりと見るのは非常に刺激的な体験である。

 

当日撮影した写真(もちろん撮影許可のあるスポットで撮影)や手元にある図録等をベースに、気になったポイント等を、ここでは書き出して行きたい。

 

・「探偵文学」誌の表紙にメモ書きがされているが、内容は小栗虫太郎の『白蟻』についてではないか?との指摘をいただいた。大阪圭吉の『白蟻』に対する意識

 

・応召に際し奥さんに宛てた覚書「出版関係覚之」より、著作の部数や印税割合についてのこだわり?また「誓ひの魚雷」に訂正あり「姿なき敵兵」と改題したかった?

 

・「大東亞出版社作品メモ」より、『寒の夜晴れ』の上部分に「クリスマスの苦衷」(?)と記載の指摘あり。これも改題したかった?

 

・大阪圭吉の描いた絵画より、「さんま」の絵。うどんが好物らしいことは『幻の探偵作家を求めて』(だったと思う)で奥さんが話されていた気がするが、さんまも好物だったとは。食べ物の好物といった嗜好面も知れてよかった。

 

横溝正史からの葉書(療養先の上諏訪から東京への転居挨拶)。どことなく後年の『黒猫亭事件』冒頭を思わせる文章

 

小栗虫太郎からの葉書、自宅への案内地図が丁寧で人柄が偲ばれる

 

小栗虫太郎からの速達。まさかここで耶止説夫の名を見るとは……やはり出版関係絡み?

 

甲賀三郎からの礼状より。あれ、甲賀三郎の息子さん……?何かあったっけ、甲賀三郎の経歴リストを再確認せねば

 

木々高太郎からの手紙、木々高太郎の筆跡からはお医者さんの書くカルテのような印象を受けた。

 

…………等々多数。

書簡で最も印象に残ったのは、やはり

 

井上良夫からからの手紙

 

これである。展示されていたのは『燈台鬼』についての読後感が記された手紙だが、便箋約5枚にびっしりと、欄外にも細かい文字でびっしりと注釈が入れられており、井上良夫の熱情と作品への感激ぶりがうかがい知れる資料であった。井上良夫といえば戦前期における海外本格ミステリの翻訳、江戸川乱歩との往復書簡や『探偵小説のプロフィル』(国書刊行会刊)にまとめられた評論が知られるが、乱歩以外の作家とのやりとり、それも情熱ほとばしる作品評というのは意外であると同時に感動的なものであった。

 

 

新発見への驚きや次から次へと湧く疑問……今後の研究・疑問解決の為の課題としつつ、今後の更なるモチベーション向上に繋がった展示会見学であった。

 

 

なお、今回の行程には普段から仲良くしていただいている2人の相互フォロワーさんもご同行いただき、また会場では盛林堂書房の小野さん、YOUCHANさん、小山力也さんにご挨拶することが出来ました。

皆様、その節は本当にありがとうございました。

ユメノドーナツ

前回の投稿から一年近く経ち、その間投稿出来ずに大変失礼致しました。本業の方が多忙を極め、ブログの方が滞ってしまいました。

不定期の投稿ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

さて………一年ぶりの今回は『夢野久作の日記』に登場する、ある食べ物について。

 

 夢野久作こと杉山泰道が遺した日記は一九一〇(明治四十三)年、一九一一(明治四十四)年、一九一二(大正元)年、一九二四(大正十三)年、一九二六(昭和元)年から一九三〇(昭和五)年、一九三五(昭和十)年の日記の現存が確認されており、それらは葦書房から刊行されていた『夢野久作の日記』で読むことが出来る(※1)。後の『ドグラ・マグラ』となる「狂人の解放」を筆頭に『瓶詰の地獄』等の名作が執筆される過程の他、自身の妻・子どもたちとの日常、明治から昭和の政治活動に深く関与した父・杉山茂丸とその周囲の人々や杉山農園の経営といった杉山家関連、喜多流能の教授としての活動とその人間関係やトラブルの始末といった複雑な事情等も簡潔ではあるが複数記されており、日記の端々に記された自身の胸の内をつづった一文も相まって、夢野久作=杉山泰道という一人の人間の人生について理解を深める為に不可欠な、貴重な資料であることは言うまでもない。

 さて、日記とは本来、日常の出来事や時々の心情を書き残すものだ。日常の記録である以上、当然記載されるのが日々の食事に関する事柄。その中でも特に気になったのは「ドーナツ」に関する記述である。一九二六(昭和元)年三月九日の日記には

 

「クラ、ドーナツを作る」

 

 との記載がある。ドーナツについては更に同年五月二十三日に

 

「朝五時半起床、ドーナツと馬鈴薯にて朝餐。狂人の現行書く」

 

 さらに年月が経過して一九三五(昭和十)年六月七日にも

 

「クラ、ドウナツを作る。固し」

 

 との記載があり、これが久作の日記におけるドーナツに関する最後の記述となっている。日記中における「クラ」とは久作の妻、杉山クラさんのことであろう。奥さんお手製のドーナツを食べながら、狂人の原稿……後の『ドグラ・マグラ』等の作品の構想を練っていたのだろうかと微笑ましい想像をする一方、昭和初期における家庭料理としてのドーナツに強い興味を抱くこととなった。お店から買ってくるのではなく、家庭で作る。大正の末頃から昭和の始め、福岡博多の校外である田園地帯、その中の広大な農園の中に居を構える、不世出の作家が好んだお手製ドーナツ……。後年「おそらく、福岡の明治屋でお菓子を買って、リプトンのいい紅茶を飲んで、朝パン食で仕事をするなんていうのは、おやじだけではなかったんですか」と長男の杉山龍丸氏が回想していたが(※2)、テニスを愛好しカラフルな色合いのセーターを着こなすモダンボーイな一面もある久作にはドーナツを手にしての朝食風景がよく似合う。

 昭和初期のドーナツのレシピについては、日記に記載された年月からは若干後の一九三二(昭和七)年頃のものとして、雑誌「主婦之友」(一九三二(昭和七)年三月号)の付録『道具いらずに出来るお菓子の作り方百種』に収録されている金森久和子氏によるレシピ「ドーナッツの作り方」を参照したい。なおレシピ本文は旧字旧かなで記載されているがここでは本文からの引用部分を除いて現代文にて記載した。

 

材料

メリケン粉コップ一杯、焼粉小匙一杯、砂糖大匙四杯、牛乳大匙四杯、玉子半個、ナッツメッグ少々。なおナッツメッグは「なければ入れなくても結構」、揚油は「何でも結構です」とのこと。

作り方

1、バタと砂糖と玉子を順に鉢に入れて練り混ぜ(ドーナツの材料一覧に記載がないが、本文中には「プレーン・ケーキ作り方寫眞(一)参照」とあり同書の「プレーン・ケーキ」生地の材料バタ大匙八杯、砂糖コップ一杯半、玉子半個と同様の分量とみられる)、ふるった粉類をもう一度ふるいに入れて牛乳と交互にふるい入れ混ぜる。

2、いわゆる「ダマ」が出ないように混ぜ合わせる。本文中には「木杓子で軽く、粉の足をださぬやう、混ぜ合わせることが大切」とのアドバイスがある。

3、混ぜ合わせた材料を、メリケン粉を振った伸板の上に出して、軽くこね合わせる

4、綿棒で、二分くらいの厚さに伸し、ドーナッツ型で抜く

5、型がない場合は「手で輪に作れば、よろしいです」とのこと。

6、揚油の煮えたところ(レシピ中には油の煮え具合の目安として「紫色の煙が立ったら」とある)へ入れ、上下に返しながら揚げて油をきり、粉砂糖をまぶす

 

 揚げる際の「紫色の煙」という記述が若干気になるが、現代の家庭料理における本格的なドーナツのレシピとあまり変わらないようにも思える。クラさんが実際に作っていたのがこのレシピと同じものであったかは定かではないが、材料等は大体似たようなものだったのではなかろうかと一応の推察は出来る。細かいところとしては「杉山家のドーナツは、セオリー通りのリング型の揚げドーナツだったのか、それとも現代でいう「揚げないドーナツ」いわゆる焼きドーナツだったのか」「リング型の他にもボール型、コロコロ型と型の種類は様々だが実際にはどの型だったのか」「お砂糖等の味の加減、久作の好みの甘さや固さはどうだったのか」といった杉山家なりのオリジナリティの部分について疑問が浮かぶが今となっては確かめようのない事柄である。「もしかしたらそうだったのかも」くらいに想像して楽しむ程度に留めておく。

 

 この他にも夢野久作の日記には、ドーナツ以外にも食事について気になる記載がいくつか存在する。

 例えば一九二四(大正十三)年一月十五日の日記には異母妹の長男が入院していた病院に行った際「チユー煮をいただく」という記述がある。この「チユー煮」とは何か。可能な限り調査したがこれといった資料が見つからず、そもそも料理なのか(シチューのことか?)、病院のことなのでお薬の別名か何かとも思ったが判然とせず謎が残る。

 他にも一九二六(昭和元)年六月十九日には「ヱイの魚の汁」が夕飯の食卓にのぼった旨記述がある。「ヱイの魚」といえばアカエイ等のあの海洋生物のエイなのだろうか。料理の食材になるとは思いもよらず困惑したが、調べてみるとエイは臭みが強いがきちんと下処理をすると美味しく調理出来るとのことである。エイの身は煮付けやムニエルにすると美味らしく、岩満重孝『百魚歳時記』によると「赤味噌汁、酢味噌も美味いそうだ」(中公文庫版113P)とのこと。杉山家でも手に入ったエイの身を具材にしたお汁物を作って食したのだろうか。

 ドーナツから話が逸れて料理全般の話になってしまったが、現代社会における食生活・食習慣とはちょっと異なる、かの時代の風景が見えてきて非常に興味深い。

 

 夢野久作の日記を読み解くうえで、本稿の冒頭で触れたように『ドグラ・マグラ』や「猟奇歌」等の作品の構想・執筆の過程だけでなく、父・杉山茂丸とその周囲の人々や杉山農園の経営といった杉山家関連、喜多流能の教授としての活動といった、いわば「公人」の面に目が行きがちだが、日常生活を送る「私人」としての面からも夢野久作こと杉山泰道という人物の人となりがうかがえ、より身近に感じることが出来る。今後も、研究の傍ら日記を通して往時の生活についても思いを馳せていきたい。

 

註釈

※1 現在は絶版の為、古書店や図書館を活用されたい。

 

※2 三一書房版『夢野久作全集』第七巻収録の解説対談の項490Pより

 

 

※雑誌「主婦之友」(一九三二(昭和七)年三月号)付録『道具いらずに出来るお菓子の作り方百種』については眼鏡犬さんからご教示いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

続・読書会本校正補助打ち明け話

 風々子さんが発行されている『横溝正史読書会レポート集』シリーズ。その最新巻である第三巻が今年令和五年九月に刊行された。私康綺堂は前回前々回に引き続き今回の第三巻も校正補助という形で本づくりのお手伝いに参加させていただいた。ここでいう校正補助とは、これまでと同じく、文中での引用個所に明記されているページ数がテキストとなった本のものと合っているか、間違いがないかをチェックしていくというものである。今回は収録されている全六作品(『怪獣男爵』『迷路の花嫁』『女王蜂』『支那扇の女』『髑髏検校』『貸しボート十三号』)すべてのチェックを担当することになった。今までにない分量で若干の不安があったが、本業の傍らチェック作業をこなし、何とかこの責任重大なミッションを果たすことが出来た。編集委員の特権でこれから出る予定の新刊の中身を覗き見ることが出来る喜びよりも、チェック漏れや勘違いでミスがないかという心配で頭がいっぱいだったのは、これまでと同じである。

 さて、計六作品のうち五作品は無事にチェック作業を終了することが出来たが、残り一作品で事件は起きた。その日チェックしていた作品は『髑髏検校』であったが、なんといただいた原稿データのページと私がチェック用に使用している本のページと数が全く合わないのである。

レポート本を読まれた方ならご存知かもしれないが、この本では読書会で言及された場面についての引用先のページが明記されている。レポート本第三巻で例えれば『迷路の花嫁』の読書会で本文中24ページにある

 

「口の中を歯磨きだらけにしながら(P125)という描写がすごく好き」

 

 という一文のカッコ内に明記されているページ数が正確か、指定された版(もしくは刊行年が近いもの)のテキストと照らし合わせ、間違いがないかをチェックしていく。ところが『髑髏検校』に限っては、原稿データのページと私が使用した版とでなんと100ページ以上もの大きな開きがあるのである。

例を挙げればレポート本56Pの

 

「初登場の時点ではまだ血が足りてなかったんで、年寄りのように見えた」

 

という文の引用先は、原稿データでは288Pとなっているが、参照した文庫版では26Pにある。

またレポート本60Pの

 

「不知火島の描写で、南国特有の美しい月ってあるけど、九州って南国のイメージだったのか」

 

という文は指定では282Pだが参照した版では20Pにある……という風に。『悪魔の手毬唄』のチェック時には初期の版と後年の版とで文字ポイントが変更になっており一ページ分ほどの差異が発生していた旨は前回の打ち明け話でも書いたが、これほど大きな開きが全体に渡って発生しているのには面食らった。

 私はすぐに風々子さんに連絡して事情を説明し『髑髏検校』については作業を一時停止し他の作品のチェックを続けることにした。作業を続けながら私はこの大幅過ぎる差異の謎について考え続けていた。ページ数の差異をざっと計算して考えられるのは、読書会のテキストとなった『髑髏検校』と私が作業に使用した『髑髏検校』は収録されている作品が逆になっているのではないか、ということだ。読書会のテキストとなった『髑髏検校』は角川文庫版昭和五十年六月十日発行の初版で、私が使用したテキストは昭和五十二年十一月二十日発行の第十版。現在書店などで購入できる角川文庫版『髑髏検校』には『髑髏検校』『神変稲妻車』の順で収録されている。これが初版などでは逆に、つまり『神変稲妻車』と『髑髏検校』の順で収録されているのではないか……。その後風々子さんから『髑髏検校』角川文庫版の初版をお贈りいただき(その節は本当にありがとうございました)、その疑念が正解であったことを確認した。やはり、初版では『神変稲妻車』と『髑髏検校』の順番で収録されていた。

いただいた初版を活用して作業をようやく終えた時には本当にほっとした。だが、ほっとした後でまた新たな疑問が浮かんだ。「いつから『髑髏検校』と『神変稲妻車』の順の収録になったのだろう」と。

 図書館や古本屋、ネット通販を頼るのが一番だが、取り扱っている本が、いつ頃に発行された第何版かまで明記しているというわけではない。あくまで私個人の感覚だが、初版や重版のようなわかりやすい数宇ではなく、四版とか六版とかをピンポイントで狙うことは、横溝正史の最初の刊行本である『広告人形』や、検閲によって指定されたページが破かれていない『鬼火』が掲載された「新青年」誌といった稀覯本を手に入れることとはまた別の次元の難しさがある。それが角川文庫版のように、ブーム時に大量の部数が発行・販売され、一般に広く出回っているものなら尚更だ。

 第三版の段階では『神変稲妻車』『髑髏検校』の順で収録されていることは確認できたが、結局どの版で現在の収録順になったのかはわからない。「ここは全国の横溝クラスタのお力を借りよう」とTwitter(現X)で呼びかけてみたところ、木魚庵さんをはじめ多くの方から情報をいただいた。木魚庵さんからは創元推理倶楽部秋田分科会が刊行していた『定本 人形佐七読本』収録のコラムにて第五版で現在の収録順になったことが明記されている旨情報をいただいた。その後、他のフォロワーさん方から画像付きで情報をいただき、角川文庫版『髑髏検校』の収録順が初版の『神変稲妻車』『髑髏検校』から現在の『髑髏検校』『神変稲妻車』に変更になったのが昭和五十一年七月十日発行の第五版からであることが判明した。ご協力いただいてくださった皆様、本当にありがとうございました。

 さて、残る謎は収録順が変更になった理由である。「表題作の前に別の作品が収録されている」状態ということで、当時の編集部、もしくは読者、あるいは双方からこのねじれ状態の解消を求める声が挙がり現在の収録順に変更されたと考えるのが自然だが、あくまで私個人の勘繰りなので確定とは言い難い。角川文庫版の横溝正史シリーズには底本(本を作る際に参照したテクスト)が明記されていない場合が多いので断言しかねるが、角川文庫版『髑髏検校』初版刊行の五年前、昭和四十五年七月三十日に桃源社から刊行された『髑髏検校』の収録順は『神変稲妻車』『髑髏検校』『不知火捕物双紙』となっている。『不知火捕物双紙』を除けば初期の角川文庫版と収録順が一致するが、決め手に欠けるので推察・勘繰り程度にとどめておく。

 

「角川文庫版は長年に渡って多数の版が発行された為、時期によってページ数等が異なる場合がある」とはよく聞くが、文字のポイントだけでなく、まさか作品の収録順が逆という場合もあり得るとは、今回の読書会本チェック作業を行うまでは夢にも思わなかった。読書会本を発行されている風々子さんをはじめ、多くの方々のご協力に心から感謝しつつ、今後も、『髑髏検校』以外の角川文庫版横溝正史作品についても収録順など各版の差異を探究していきたい。

 

参考文献

風々子『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート集3』(私家版)

横溝正史『髑髏検校』(角川文庫版、桃源社版)

創元推理倶楽部秋田分科会編『定本 人形佐七読本』(私家版)

横溝正史ミステリ短篇コレクション』第二巻(柏書房

読書会本校正補助打ち明け話

 
 風々子さんが発行されている同人誌『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート集』第一巻と第二巻について打ち明け話を少し。

 横溝正史ファンによる読書会は二〇一六(平成二十八)年から盛んに行われてきた。二〇二〇(令和二)年からは社会情勢の大きな変化により会場での対面方式からオンライン形式で開催された。私は二〇二〇(令和二)年十月にオンライン形式で開催された『幽霊男』の回より参加、可能な限り読後の感想や意見を述べてきた。その読書会のレポートが同人誌という形で刊行されるはこびになり、私は原稿の校正補助として参加させていただき、本づくりのお手伝いをすることが出来た。

 ここでいう校正補助とは、文中での引用個所に明記されているページ数がテキストとなった本(主に角川文庫版)のものと合っているか、ズレや間違いがないかをチェックしていくというもの。私はレポート本第一巻収録分より『獄門島』『不死蝶』『幽霊男』、第二巻『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』『黒猫亭事件』の計六作品を担当。読書会レポートで参照された版と同じか刊行がなるべく近いもの(例えば読書会で参照された『不死蝶』が初版なら、手持ちの『不死蝶』から初版に近い版である第十四版)を使い、入念にチェックを行っていく。

「角川文庫の横溝正史シリーズは長年に渡って多数の版が刊行されており、その時々の文字組やレイアウト等の事情の為に版によってはページや文章が大きくずれている場合がある」という話は以前から耳にしていた。引用個所はそう多くはないが、それでもチェック漏れの危険はあるわけで、本業と自身の新刊準備の傍ら締め切りまでに再チェック、再々チェックを重ねた。実のところ、世に出る前の同人誌を関係者の一人として最速で中身を読むことが出来るという喜びよりも、何がしかミスをやらかしてしまうのではないかという恐怖の方が大きかった。普段の私は非常におっちょこちょいであり、うっかりミスを頻発するもので、お世話になっている方々の迷惑になってはならないと慎重に事を進めた。

 第一巻収録分は特に大きなズレなどもなく無事終了、第二巻収録分も『八つ墓村』『黒猫亭事件』は無事終了。残るは『悪魔の手毬唄』だけとなったのだが、ここで問題が発生した。引用個所が一ページほどずれているのである。例えばレポート本の「金田一耕助の素性を知っている」という箇所の引用が461Pとなっているのに手元の本では462Pにある、という風に。

ページのズレが大きいと編集や刊行予定に大きく影響してしまう。私がチェックに使用したのは一九七七(昭和五十二)年三月二十日発行の第二十七版。レポートで参照されているのは一九七四(昭和四十九)年の第十三版。私は主催の方に連絡したうえで、レポート参照本に近い版である一九七四(昭和四十九)年第十二版を入手しチェックを行った。すると、ズレのある箇所がぴったり合うのである。再チェック、再々チェックを行い、主催の方へ報告、ついに作業を終えることが出来たのである。見本誌を受け取った時と販売開始、売れ行きが好調との主催の方のツイートを見た時は本当に嬉しかったものだ。

 さて同じ出版社から刊行されている同じ作者の同じ作品なのに何故ズレが生じているのか。前述のようにその時々の文字組やレイアウト等の都合のためなのだろうが、この『悪魔の手毬唄』角川文庫版第十二版と第二十七版、具体的にはどう違うのだろうか。二冊を何度か見比べているうちにあることに気づいた。文字の詰め具合が第十二版では広く、第二十七版では狭くなっているのである。文字の大きさも第十二版では若干大きく、第二十七版では若干小さく見える。ズレの原因はこれであった。例えば11ページの終わり部分は、第十二版では

 

「わっはっは、ほんとですか、それ」

「ほんともなにも……」

 

 だが第二十七版では

 

「わっはっは、ほんとですか、それ」

「ほんともなにも……」

「そ、そいつは光栄の至りですな、あっはっは」

 大きな掌でつるりと顔をなでながら、満面笑みくずれている磯川警部も、ずいぶん年をとった

 

 となっている。約二行分詰めている様子である。

 他にも、10ページにある章題も第十二版では「一羽の雀のいうことにゃ」第二十七版では「一羽のすずめのいうことにゃ」と漢字部分が平仮名になっていた。前頁を厳密に精査したわけではないが、所々細かい変更がある様子である。

 普段慣れ親しんでいる作品の、普段気が付かない細かい部分の違いを校正補助のお手伝いを通して自身の眼で確かめることが出来た。探究はまだまだ続く。

 

参考文献

風々子『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート』第一巻・第二巻(同人誌)

横溝正史悪魔の手毬唄』(角川文庫版)