康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

私の2021年

2021年、この1年はゆるやかに始まり、慌ただしく過ぎていった……という印象である。

「予想外」というのも、個人的にこの1年を表す言葉だと思う。

同人誌を刊行したこと。原稿作成から製本発注、通販まで自分でやり遂げるとは思わなかった。しかも、自分が作った本が年内に完売するなんて!そして、『2022本格ミステリ・ベスト10』掲載の嵩平何さんによるコラム「ミステリ周辺書2021(同人誌・私家版編)」で言及していただけた……今後とも奮励奮闘精進努力を重ねなければ……

 

他の方の原稿にも全力を尽くした。

えかてさんの『壺中綺譚』に眼鏡犬さんの『諸氏による横溝ジュヴナイルコレクション』……テーマとなる作品を読み込み、自分が以前から抱いていた疑問へのアンサー含め、より良い原稿を仕上げたつもりだ。

そして現在制作中のマーダーミステリー用シナリオ……

兎に角、文章を考え、書き出し、打ち込む1年だった。

 

自分の新刊については只今準備中、2022年秋の刊行を目標にしている。

boothでの販売がメインになると思いますが、販売開始の際にはよろしくお願い致します。

 

来る2022年、どのような1年になるか……

頑張らなくちゃ。

一柳三郎の本棚

※※※横溝正史『本陣殺人事件』について若干のネタバレがあります※※※

 

 

 

横溝正史『本陣殺人事件』において謎解きの重要なカギとなるのが、探偵小説マニアである一柳三郎の本棚の存在である。彼の本棚は金田一耕助が驚嘆するほどの品揃えであり、地の文でも「探偵小説図書館」とも形容されている。金田一耕助もこの本棚を見て、事件解明の糸口の一部を見出だしたわけだが、改めてこのくだりを読み直すと、事件解決のヒントだけではなく時代背景や様々な推測が浮かぶのである。この本棚を通して、事件の真相以外に何が見えてくるのか、可能な限り探ってみたい。

 

「日本物では江戸川乱歩小酒井不木甲賀三郎大下宇陀児木々高太郎海野十三小栗虫太郎」……

国内作家で挙げられているのは、いずれも戦前期を代表する探偵小説作家たちであり、作者である横溝正史と親交が深かった人々だ。

江戸川乱歩は言うまでもなく横溝正史にとっての「常にわが側なる」存在。昭和12年のこの時期には『怪人二十面相』(昭和11年発表)に探偵小説評論と活動の幅を更に拡げつつあった。一柳家における事件の二年後昭和14年に短篇『芋虫』の全面削除を命ぜられ、翌年昭和15年を、自身の生い立ちや活動を集成したスクラップブック『貼雑年譜』にて「探偵小説全滅」と総括することになる。

 

小酒井不木はその乱歩の師匠的存在で、創作もさることながら、翻訳ーー特にドゥーゼ『スミルノ博士の日記』は横溝にも多大な影響を及ぼした。亡くなった昭和4年には改造社から医学関係の著書も網羅した全17巻の全集が改造社刊行されている。

 

戦前期においては長編『蛭川博士』が有名な大下宇陀児は、一柳家の事件が起きた昭和12年には「ロマンチック・リアリズム」に基づく中編『鉄の舌』を発表している。江戸川乱歩と並ぶ人気作家である為、こちらも乱歩ともども日本人作家の代表格として愛読したのだろう。

 

海野十三小栗虫太郎は両名とも戦前期を代表する人気作家であり、横溝正史とも縁が深い人物である。小栗虫太郎とは彼のデビュー作『完全犯罪』にまつわるピンチヒッターの逸話、海野十三とは戦後『本陣殺人事件』執筆前後の時期における往復書簡による交流が印象深い。この時期の代表作品は海野十三は『深夜の市長』『蠅男』「十八時の音楽浴」、小栗虫太郎は『黒死館殺人事件』『二十世紀鉄仮面』など。

 

さて、ここで挙げられている中で個人的に気になったのが木々高太郎である。

戦前期の木々高太郎といえば「探偵小説は謎解き中心であるよりも文学的であるべきか」という探偵小説のあり方を巡って甲賀三郎と論戦を交えた「探偵小説芸術論」論争と自論を作品という形で実践した『人生の阿呆』の連載・刊行、ならびに同作の直木賞受賞という日本探偵小説史に残る一連の出来事が知られるが、三郎はいち探偵小説マニアとして事の成り行きをリアルタイムで見ていたわけである。「密室の殺人」論もだが、この辺りの探偵小説情勢に関する三郎自身の私見も気になるところである。

 

対して海外作家については

エラリー・クイーンやディクソン・カー、クロフツやクリスチー等々々」と、現在でも多くのファンを持つ本格作家揃いである。

いずれも、横溝正史が敬愛した作家たちとして知られており、また当時邦訳が三作くらいしかなかったディクスン・カーを除けば戦前期にその作品の多くが翻訳され親しまれていた作家たちでもある。

一柳三郎といえばディクスン・カー(作中では「ディクソン・カー」表記)だ。

昭和12年頃までの主な邦訳は

『夜歩く』

『絞首台の謎

『魔棺殺人事件(『三つの棺』)』

の三作が知られている。作中三郎が挙げている『帽子蒐集狂の秘密』(『帽子収集狂事件』)と『プレーグ・コートの殺人』は事件当時、昭和12年時点では未訳。言うまでもなく、原書で読み込んだものとみられる。

ディクスン・カーについての評論は

翻訳家の井上良夫がいくつか書いているが

これらは『三つの棺』における「密室講義」について述べたもので、『探偵』等の専門誌に掲載されていたようだ。三郎がこのあたりもチェックしていたのかは定かでない。

なお、余談ながら。

事件後の昭和13年から15年頃には雑誌「新青年」にてカーの邦訳短編が数編掲載されていたことを明記しておく(※)。もし三郎が事件に関わらず、召集もされていなければ、これらの作品も耽読していたのだろうか。

国内作家に比べて挙げられている人数が寂しい気がしないでもないが、冒頭の「私」が連想する場面で挙げられている『エンジェル家の殺人』等の作品も、(原本、翻訳版の区別なく)三郎の本棚にもれなく納められているものと思われる。

 

海外作家といえば「未訳の原本」の詳細も気になるところである。

海外作品に限った話ではないが、三郎はどのようにしてコレクションを拡充させていったのだろうか。

 

戦前期の雑誌に翻訳掲載された海外怪奇小説を集めた『怪樹の腕<ウィアード・テールズ>戦前邦訳傑作選』における會津信吾氏の解説には、(パルプマガジンについては)戦前期においても個人で「国際郵便為替を組み、注文書を同封して」出版社に送る形で購入出来たとある。本の情報は、「新青年」等の雑誌の読者投稿欄や特集記事のようなページを活用して得ていたようだ。

このような形で、興味を持った作品を手に入れていったのだろう。

 

コレクションの中では、黒岩涙香の本が「古いところ」とされている。ここでいう「古いところ」が「刊行された時期」なのか「活躍した時期」なのかという厳密な部分はなんとも微妙なところだが、明治時代に刊行されたものを古書店で買い求めたとみるべきだろう。なお涙香没後も大正から昭和初期(もちろん、事件発生の昭和12年頃)にも刊行されている。

「博文館や平凡社から発行された翻訳探偵小説全集」や日本人作家の刊行本は新刊を書店(倉敷市内かあるいは岡山市内か)にて購入したとみるべきだが情報網が現代と比べて非常に限定される当時としては、単行本の巻末に掲載された広告の力ははかりしれなかっただろう。

広告といえば本棚の記述を読んでいて気になったことのひとつに「新青年」「探偵小説」等の「雑誌」について言及がなかったことがある。「雑誌連載リアタイ派ではなく単行本派だった」とも取れるが、インターネットという設備さえあれば膨大な情報が自宅にいながら手に入るという全世界的な情報網が発明される遥か以前のこの時代において、海外作品の近況や読者投稿欄等、知識とコレクションを拡充する情報源として欠かせないものであったはずだ。

答えを絞り出すとすれば……。

雑誌については、数は不明だが、所蔵はされていたのだろう。(ややメタ的な見方だが)冒頭でも述べたように三郎の本棚は、事件解決に至る重要なヒントである。『本陣殺人事件』の物語は、作者・横溝正史をモデルにしたと思われる「私」が村人たちの証言や当時の資料を基に探偵小説として再構成したという体裁である。本格探偵小説としてのヒントにする為に「某誌の何年の何月号に掲載された作品が……」というような混乱を招きかねない要素を小説にする過程で記録上から割愛したのかもしれない。

ただし、「神戸の私立専門学校を、これまた中途で退校させられた」とあるので、さほど長い期間ではないだろうが神戸にいた時期があった様子である。情報源、あるいは本の入手先の候補として記しておく。

 

以上、一柳三郎の本棚について考えを可能な限り述べた。今後も作品を再読する度に発見があるだろう。

 

『本陣殺人事件』が雑誌「宝石」に連載されたのは、戦後間もない昭和21年。三郎の本棚のシーンや金田一と三郎の探偵小説問答のシーンを読んだ当時の読者は、何を思っただろう。かつて読んだ作品への懐古か、まだ見ぬ作品への憧憬か……。

 

 

※『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫)巻末の掲載作品リストによると『透明人間』『存在しない部屋での殺人』『空部屋のラヂオ』『楽屋殺人事件』『葡萄棚の秘密』とのこと。原本をすべて確認出来たわけではないので今後の課題としたい。

主な参考文献

横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫版)

『探偵小説五十年』『新版横溝正史全集第18巻』(講談社)

江戸川乱歩江戸川乱歩全集』第24~30巻(光文社文庫)

貼雑年譜』(講談社江戸川乱歩推理文庫』特別補巻)

中島河太郎中島河太郎著作集』中嶋淑人編(論創社)

井上良夫『探偵小説のプロフィル』(国書刊行会)

長谷部史親『欧米推理小説翻訳史』(双葉文庫)

飯城勇三エラリー・クイーン Perfect Guide』(ぶんか社)

伊藤秀雄・榊原貴教『黒岩涙香の研究と書誌』(ナダ出版センター)

宮田昇『昭和の翻訳出版事件簿』

『怪樹の腕<ウィアード・テールズ>戦前邦訳傑作選』(東京創元社)

『幻の探偵雑誌9「探偵」傑作選』(光文社文庫)

『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫)

その他多数

 

原稿と感慨 ー横溝正史のジュヴナイル作品

柏書房の『横溝正史少年小説コレクション』は、この記事を書いている段階で5冊目『白蠟仮面』が刊行されたばかりである。

 

横溝正史のジュヴナイル作品といえば、私は角川文庫版で楽しんだものだが、今回改めて、初出・初刊ベースの文章で読み直していると、初読時・再読時には気づかなかった様々な発見があった。現在その発見したことどもの一部を文章に書き起こし、眼鏡犬さんが刊行している同人誌シリーズ『諸氏による横溝ジュヴナイルコレクション』に寄稿している最中である。

原稿執筆の為の取材、として対象作品を再読していると横溝正史自身の他の作品・他の作家の作品が目に浮かぶ場面が多々ある。

「この場面で使われたトリックのルーツはあの作品だろうか」「この人物の名前も、大人向け作品に通じるものがありそうだ」等々。相似の指摘だけで終わらず、ブックガイド的な動きに出来たらいいなとは思うが、やはり難しい。締め切りに追われながら試行錯誤の日々である。

 

現在『青髪鬼』の原稿募集があり、私も寄稿する予定だ。一応テーマは決まってはいるが、「横溝正史のなかでコバルトとはどういうイメージだったのだろう」「短編だと、発明家の兄と妹パターンが多いが発表時の時局みたいなものも絡んでいるのか」等々興味はつきない。眼鏡犬さんの本には最終巻まで寄稿し続ける所存である。

 

それにしても……

私が中学から高校の頃、角川文庫版の横溝正史ジュヴナイル作品は、それはもう貴重な高級品だった。ネット通販は年齢と技術の関係で使えず、一冊手に入れるのも大変で、しまいには探している一冊が夢にまで出てくる始末であった。

それが今、初出・初刊本ベースの文章と挿絵、日下三蔵氏の詳細な解説付きという形で刊行され様々な作品が読めるようになった。

テーマ別収録ということで、新しい視点で彼の日に読んだ作品を読むことが出来る。

しかもTwitterをはじめとするSNSで感想や意見交換が出来る……

なんと喜ばしい、素晴らしいことか!

 

この幸福を噛みしめ噛みしめ、今日もページを繰るのである。

 

 

偏愛横溝短編の話

先月から、Twitterのスペース機能を利用した風々子さん主催のオンラインイベント『偏愛横溝短編を語ろう』にゲストスピーカーとして参加している。

このイベントはタイトルにもあるように、自分が愛してやまない……すなわち「偏愛」の横溝正史作品について語るというもの。一人一作品、持ち時間は五分。語ったあとは他のメンバーと作品についてのフリートーク、という構成だ。自分自身が語るのもそうだが、他のメンバーがどの横溝作品を取り上げ、偏愛ポイントをどう語るのかも楽しい。

 

これまで二回行われてきたが、私が選んだのは

『執念』(第一回)

『広告面の女』(第二回)

の二作。いずれも戦前期の短編である。

『執念』は、大正15年に発表された短編。ある農村を舞台に、吝嗇家の老婆が家のどこかに隠したという莫大な遺産を巡って老婆の養子夫婦が争う話。先に見つけられてはならぬという疑心暗鬼の心理描写とその当時の田舎の暗闇、あっけない皮肉たっぷりなラストと初期の名短編だと私は思う。

『広告面の女』は昭和13年発表。奇怪な人探しの新聞広告が世間を騒がせる中、平凡なサラリーマンである主人公は、ひょんなことから隣人の秘密を知り、更には好奇心で、この新聞広告を巡る陰謀に自ら飛び込んでいくというあらすじ。短い紙数の中、冒険のスリルが詰め込まれたスピード感溢れる一作だ。

 

横溝正史作品は、柏書房から作品集が続々と刊行されていることもあり、再読を進めていたが、このイベントを通じて再読の幅が更に拡がった気がする。別の視点から紹介される作品の魅力に気付き、さらなる「偏愛」作品の発見に繋がる……なんと素晴らしいことか。

そして、イベントを通じて、新しい横溝正史ファンが増えれば、さらに素晴らしいことである。

 

なお、第三回は、来る10月2日(土)20時00分頃から開催される予定、ぜひお聞き下さい。

 

さて、私は角川文庫版の短編集『双生児は囁く』と『喘ぎ泣く死美人』収録の作品を読み直すか……

8月の活動報告

今月は活動報告を

 

バタバタとあっという間、暑い日と土砂降り続きの日のギャップが激しく、この記事を書いている今も「8月、夏もそろそろ終わり」ということにイマイチ、ピンときていない。

 

今月は風々子さん主催、Twitterのスペース機能を利用したオンラインイベント「偏愛横溝短編を語ろう」にゲストスピーカーとして参加。私は初期短編の一作「執念」ついて語った。岡山に疎開するずっと以前、横溝にとって田舎の風景がまだ想像の中だった時代の作品だ。ネタバレしない程度にもう少しディープに語ってもよかったかなとも思うが、次回に活かしたい。

 

そして、はじめて「自分が作った個人誌」の販売を開始したことだ。発送はかねがね上手くいったが、事前の告知や本文のレイアウトなどに課題が残った。これも次回に活かしたい。

 

仕事や自身の本づくりもだが、他の方の本づくりの手伝い(寄稿など)に再読ではなく未読本の読了にも力をいれねば。

うむむ、タスクとスケジュール、締め切りを整理せねば。

悩ましくもバタバタしながら、夏は過ぎていく……

個人的『蝶々殺人事件』メモ

※※※横溝正史『蝶々殺人事件』『本陣殺人事件』クロフツ『樽』ドゥーゼ『スミルノ博士の日記』についてネタバレがあります※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

横溝正史『蝶々殺人事件』を再読したので少し。

 

○作品の印象

作品そのものの印象は、スバリ「華やか」である。歌劇――オペラ……芸能界をテーマにしている為か全体的に華やかな雰囲気で、時代設定は戦前・昭和12年頃の大阪・東京という「都市」の華やかさもあるのだろう。

・原さくらの遺体「登場」(「発見」ではない)

・劇団の人間関係

・未解決である流行歌手殺人事件の浮上

・第二の殺人と明かされるスキャンダルの真相

と次々に場面が切り替わり、まるでひとつの舞台を観劇しているような気分になる。

同時期に執筆・連載されていた『本陣殺人事件』が地方農村部における旧家の婚礼という厳かな儀礼を描いているだけに尚更対照的にも思える。

「原さくらはどこで殺害されたのか、東京・大阪間の移動、アリバイ偽装の方法は」というのが本作のメイントリックなのだが、

楽譜の暗号や男装の麗人(変装による偽装)時間差を利用した脱出トリック、そして日記による一種の叙述トリックと思い起こせばトリックの連続である。それらは「なぜそうしたか、そうせねばならなかったのか」という点の追求と解明が描かれ、エラリー・クイーンの作品をも連想させるのである。(実際本作の

終盤近くには、クイーンの国名シリーズでおなじみの「読者への挑戦」が三津木の語りで挿入されている)

 

○由利先生

由利先生こと由利麟太郎は、主に戦前・戦中期の作品で活躍した名探偵なのだが、角川文庫版(今回使用したのは昭和51年8月10日発行第11版)93~94ページにて三津木の語り(いわゆる地の文)で由利先生のスタンスが紹介されている。

 

先生は知っているのである。現代のような複雑な社会機構のなかで起こる犯罪捜査では、その最後の断案は個人の知恵が決定するとしても、断案の基礎となるべき、もろもろの材料の蒐集には警察網のひろい大きな組織をからねばならぬということを。(角川第11版94ページより)

 

由利先生シリーズは、戦後においては結局本作しか大人向け長編は完結しなかったのだが、戦後、由利麟太郎という探偵を描くにあたって改めて彼の探偵としてのスタンスを定義し直したものと思われる。

そして、この由利先生の探偵としてのスタンスは、『本陣殺人事件』にて言及されている金田一耕助の探偵としてのスタンス

 

「足跡の捜索や、指紋の検出は、警察の方にやって貰います。自分はそれから得た結果を、論理的に分類総合していって、最後に推断を下すのです。」(角川文庫版昭和50年12月10日発行第14版83ページより)

 

と似通ってはいまいか。つまりこの両探偵に共通するこのスタンスこそが、戦後作者である横溝正史自身による、自身が書く探偵小説における探偵像の表明ではなかったかとも思うのである。

 

○メイントリック

本作のメイントリックは、当世の流行り風に言えば「やることが多い」。

故に何度か読み返さないと移動やアリバイの全体像を把握するのに苦労する向きもあるかもしれないし、いくらなんでもやり過ぎでは……と思う向きもあるかもしれない。

東京→大阪へ遺体が運ばれたのではなく、犯人に乗ぜられた被害者が密かに来阪し、現地で殺害され、コントラバスケースに詰められる。砂と花弁とトランクによるカムフラージュと必要物品を別人物に運ばせるという偽装手段もさることながら、これを可能にしたのは被害者の性格と犯人のマネジャーという立場であった……こういった所々がカチリカチリとハマっていくカタルシスが見所といえよう。

 

○『樽』について

『蝶々殺人事件』は横溝正史自身があとがきやエッセイ等で語っているように、クロフツの代表作『樽』に刺激されて構想が練られた作品である。

『樽』では警察側が樽を確保し遺体を発見するまでがじっくりと描かれているのに対し、『蝶々殺人事件』は展開がスピーディーである(終戦直後の用紙不足による紙数制限もあるのだろうが)。

『樽』も『蝶々殺人事件』も構成は

 

遺体発見

遠距離を移動しての捜査

真相究明と解決(アクション付き)

 

である。

有栖川有栖氏が創元推理文庫の新訳版『樽』の解説で要約しているように、『樽』は計画殺人のようで実は突発的に事件計画が立てられて実行されている。

念入りに犯罪計画が練られていたという『蝶々殺人事件』のそれとは逆である。

そう、『蝶々殺人事件』はある意味『樽』とは逆のやり方なのである。

例えば

・実際に遺体入りの樽を発送『樽』

        ↓

・被害者を目的地におびきよせる『蝶々』

 

・罪を憎んでいる人物になすりつける

        ↓

・特に決めていない(強いて言えば藤本殺しの犯人?)

 

と、こういう風に。

両作品については今後も比較を実施していきたい。

 

○土屋恭三と日記

初読時には気づかなかったが、50代だったとは。日記での語り口は一種のブラックユーモアみたいなものだと思っていたが、由利先生によって日記の文章から本性……土屋の奸智さと卑屈さが読み解かれるのが印象的だった。

 

日記の記述者が犯人……さらには探偵と相棒が日記をひもとく形で話が進行するという構成はドゥーゼの『スミルノ博士の日記』を彷彿とさせる。『スミルノ博士の日記』でも「日記」という形式上、動機になることども・憎悪のあからさまな表記や肝心な部分の意図的な省略等があった。『蝶々殺人事件』における土屋の日記は、「あえて他人に見せる」ことを意識したものとなっており、マネジャーという立場――秘密をよく知るが故に日記に記述出来、そして秘密を守らなければならない役職なのに他人に見られる為の行動をしたことから疑惑の念を探偵に持たれるという――を活用した展開である。

『スミルノ博士の日記』は戦前期において小酒井不木の翻訳で読まれていたし、横溝正史も読んでいたようだが、自身の作品に巧みに活用したといえよう。

 

 

○原さくらという人

事件の被害者であり、本作における最大級の重要人物である原さくら。事件の根幹には、彼女の虚栄心、空想癖が根深く絡んでいる。

 

「とても空想力が強くて、空想していらっしゃるうちに、事実と空想の境界がわからなくなってしまう。空想からうまれた産物を、いつか実際あった出来事のように思いこんでしまわれる。――そういう方でした。」

(角川文庫第11版211ページより)

 

原さくらの性格について弟子である相良千恵子はこのように評している。これには原さくら自身のある体質と夫・原聡一郎との関係も重要な因子となっていたことが明らかになるのだが、一方で同時期に発表された『本陣殺人事件』において犯人の特異な性質がクローズアップされたのに対し、『蝶々殺人事件』では犯人よりむしろ被害者である原さくらのそれがクローズアップされた感がある……とするのはさすがに軽率が過ぎるだろうか。

 

さて相良千恵子はその原さくらの性格については更にトマス・ハーディーの小説『イマジネーティヴ・ウーマン』を引き合いに出している。『イマジネーティヴ・ウーマン』……現在書店で購入出来る短編集『呪われた腕』(新潮文庫版)には『幻想を追う女』の邦題で収録されている。この物語には、夫との関係が冷え込み、自身が憧れる青年詩人の面影を追い求めるうちに才能への憧れが慕情へとすり変わっていく主人公の姿が描かれており、『蝶々殺人事件』における原さくらの姿と確かに重なる。前述の『呪われた腕』(新潮文庫版)の翻訳者によるあとがきによると『幻想を追う女』は戦前より翻訳が幾度かなされており、横溝もどこかのタイミングで読み込み、本作に活かしたのだろう。

 

以上書き連ねてみた。

他にも小栗虫太郎との逸話や『本陣殺人事件』『蝶々夫人』との比較等にも思考を巡らせてみたいのだが、今回は一旦ここまで。

なかなか再読が進まず、個人的にやや消化不良気味だが、またまとめ直せたらと思う。

 

 

参考文献

横溝正史『蝶々殺人事件』『本陣殺人事件』『横溝正史読本』『真説金田一耕助』(角川文庫版)

『由利・三津木探偵小説集成』第4巻(柏書房版)

『探偵小説五十年』『新版横溝正史全集』第18巻(講談社版)

木魚庵・文/YOUCHAN・絵『金田一耕助語辞典』(誠文堂新光社)

F・W・クロフツ『樽』(創元推理文庫・新訳版)

小酒井不木全集』第3巻(改造社)

トマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』(新潮文庫版)

その他多数

 

 

本の進捗

このブログもなんだかんだで3年目。

相変わらずの月イチ更新ですが、

今後ともよろしくお願い致します。

 

さて、現在このブログに掲載した横溝正史夢野久作関係の記事を加筆修正ないし改稿したものを1冊にまとめるべくヒイヒイ言いながら編集中である。休日はフル活用で制作中、内容は全6本、うち5本がこのブログに掲載した記事のバージョンアップ版、1本が書き下ろしである。

B6版モノクロ72ページの予定で書き下ろしイラストもつく(こちらのイラストも現在描いている最中)。現在boothでの販売を目指して調整中である。

印刷所(ちょ古っ都製本工房さんを予定)に依頼するのは今回はじめて。イラストを入れ、最終の誤字脱字チェックが終われば晴れて入稿なのだが……お盆までには完成・販売といきたい。