康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

佐兵衛と二瓶

※※※横溝正史犬神家の一族』(つのだじろう版含む)夢野久作『犬神博士』の重要な部分に触れています※※※

前回に続きタイトルに「犬神」を冠した二作品について考えを述べたい。
なお今回も参照したのは
犬神家の一族』は角川文庫版(昭和51年11月9日34版)
『犬神博士』はちくま文庫版『夢野久作全集』第5巻
である。


●佐兵衛と二瓶

それにしても
犬神家の一族』の犬神佐兵衛(いぬがみさへい)
『犬神博士』の大神二瓶(おおかみにへい)
この二人、名前の響きのなんと似通ったことか。

2人とも正確な出自は不明で、流浪の日々を送った過去がある。
また若き日の佐兵衛はその後の物語に影を落とすほどの美少年であり、二瓶も「チイ」としては少女の格好で芸を披露しても通るくらいである。

「神社」もまた共通項で、
『犬神博士』の物語は、「犬神博士」こと大神二瓶が自身の回想を新聞記者に語る形なのだが、取材場所である二瓶宅(二瓶曰く「自分で作った構成派風の新様式住宅」)は「ズット前から心安くしている」「箱崎八幡宮」の地所にあるという。(ちくま10~11ページ)

佐兵衛にとっては流浪の果てに行き着いた「那須神社」、その神主である野々宮神主夫妻との出会いこそ(彼の言葉を借りれば)「運のひらきはじめ」そして当然ながら『犬神家の一族』の物語のそもそもの発端である。(角川3~4ページ)

「大神二瓶」こと「チイ」少年の言動は、作中では「神通力」、あらすじや評論では「超能力」と称されるが、「犬神佐兵衛」にみれば「ひとが数年かかって習うところを、一年にして習得」し学び取った技術経験と時代の追い風を武器に「押しも押されぬ日本一流の大会社」を作り上げたこと(角川6~7ページ)が見ようによっては一種の「超能力」とも言えるのかもしれない。


余談ながら。
『犬神博士』の物語は夜が明けかかっている山の中を「チイ」少年が走り去っていく形で幕を閉じるが、この走り去っていったチイ少年が流浪の末に信州那須神社にたどり着き「犬神佐兵衛」になったのではないかという妄想を私は抱いていた時期がある。
だが、よくよく読むと『犬神博士』でチイ少年が活躍したのは「日清戦争前後」とある。(ちくま27ページ)
片や犬神佐兵衛が那須神社にたどり着いた年は作中では明確にされていないが、佐兵衛の会社が「日清・日露の両戦争」を経て躍進していく一文(角川7ページ)を見るに明らかに時期が合わない。
何より、大神二瓶の気概や思想を見るに、どうも大財閥の主である犬神佐兵衛の姿と噛み合わないのである。
あえなく潰えたこの妄想だが「横溝正史夢野久作」というテーマに踏み込むキッカケになったのだから世の中わからない。


(つづく)