悩ましき二大長編について
※※※横溝正史『八つ墓村』夢野久作『ドグラ・マグラ』のネタバレがあります※※※
数年前から、どう挑んだものか、どう形にしたものかと悩みに悩んでいたテーマがある。
「横溝正史『八つ墓村』と夢野久作『ドグラ・マグラ』について」だ。
正直、自分自身の中でも固まりきっていないのだが、今回考えていることをつれづれにはき出してみたい。
『ドグラ・マグラ』も『八つ墓村』も「探偵小説」に分類されるが、『ドグラ・マグラ』は端的に言えば「記憶を失った主人公が、自身の記憶を取り戻そうとする物語」なのだが、作中の大半を占める論文と経文、二転三転する証言や論説が夢野久作独特の文体で語られ内容を要約するのが困難である。異論はあるだろうが、強いて言えば「変格」ということになるのだろう。
片や『八つ墓村』は落武者伝説と過去に発生した大量惨殺事件が影を落とす山村を舞台にした伝奇小説的雰囲気を備えた「本格探偵小説」である。「山村を舞台にした連続殺人を描きたい」という作者の構想のもと、坂口安吾やアガサ・クリスティーの長編本格ミステリに触発され、かつ当時の「新青年」という掲載誌の特色を考慮した構造になっており、作風が異なる両作を比較考察すること自体ナンセンスかもしれない。
しかしこの両作、「子と父の葛藤」という共通するテーマが見受けられる。
『ドグラ・マグラ』は主人公の「私」を中心に、正木博士と若林博士の互いの学説をめぐる暗闘も描かれており、正木博士が「呉一郎」こと「私」の父親であり黒幕……と思わせる展開を見せつつも、結局「私」は先祖とされる「呉青秀」らの幻覚(?)を目にしながら「ブーーン……」と鳴り響く迷宮の中に戻っていく。
一方『八つ墓村』では、主人公・寺田辰弥は自身の本当の父親が村人三十二人を惨殺した田治見要蔵であると明かされ、村人たちはおろか警察からも疑いの目を向けられ苦悩する。村人たちの襲撃から逃れるべく鍾乳洞をさ迷い、名探偵金田一耕助とは別のルートから事件の解決を見た辰弥は、村の僧侶「英泉」から、辰弥の母・鶴子の恋人であった「亀井陽一」こそが辰弥の真の父であり「英泉」がその「亀井陽一」の現在の姿であったことを明かされる。真の出自が明らかになった辰弥は、愛する人とともに新しい人生を歩み始める――。
見ようによっては、『ドグラ・マグラ』では果たされなかった「出自を巡る謎の解明」と「苦難からの解放」「幸福の獲得」を『八つ墓村』で実現されたかのようにも取れるではないか。
『ドグラ・マグラ』で問われながらも明確な結論が出ないままになっているこのテーマが『八つ墓村』で解決されたとしたら……さすがに妄想もとい想像が過ぎるだろうか。
夢野久作からは『ドグラ・マグラ』刊行当時横溝正史宛に献本があったとされ『横溝正史読本』では「こわくて読めない」「とびとびにしか読んでいなかった」と小林信彦に語っている。実際のところ構想と執筆にどのくらい影響したかはわからない。それこそブーーン……の響きの中だ。
取り急ぎ書き出してみた。投稿前に読み返してみたが、なんともとりとめのないものだ。今後さらに煮詰めていきたいと思う。
参考文献
『横溝正史読本』(角川文庫)
『夢野久作の世界』(平河出版社)
その他多数