康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

『押絵の奇蹟』と『八つ墓村』

横溝正史八つ墓村夢野久作『押絵の奇蹟』の
重要な場面について触れています。


初っ端からネタバレ全開の記事でなんともはや。
本来、資料など実物をキチンと確認した上で形にすべきなんだろうけれども、埒があかなくなったので、考えてることをのんべんたらりと書いてみようと思う。

一昨年、「巡 金田一耕助の小径学会」にて「横溝先生と久作さん」という題で発表させていただいた。横溝正史夢野久作、生前直接の面識は無いし、お互いに作品の影響云々の言及はないけれど、横溝の作品には久作作品の影響がいくつか見受けられる……な感じの内容だったが、発表の後、ある方からこんな話を聞かせていただいたのだった。

世田谷文学館所蔵の横溝正史資料に『八つ墓村』の草稿というか下書きがあって、そこには、実際活字になる過程で削除されたものの、明らかに夢野久作の『押絵の奇蹟』としか思えない小説についての言及が記されていたのを見た記憶がある」と。

……一瞬、心臓と思考が停止した。そりゃそうだ。
あれだけ調べて、横溝正史サイドからの夢野久作に対する詳しい言及は三一書房版「夢野久作全集」刊行に寄せたコメントの他『横溝正史読本』と『新青年傑作選』第二巻月報くらいしか見つけられなかったんだもの。戸惑面喰(ドグラ・マグラ)しようてなもんだ。何よりも『押絵の奇蹟』と『八つ墓村』の関連性にまつわる話は、決定的な証拠が掴めずに本稿から泣く泣く削除した部分だったのだから。

本来、実物を現地で確認してから書くべきなのだが、その機会がいつになるのか未だに目処が立たない。遠隔地への複写サービスも行っていないそうだ。折角なので、実際にそのような記述が草稿・下書にあると仮定したうえで、今現在自分が考えていることを、このブログが開設した記念にかこつけて妄想、もとい推察を記していきたい。


さて、聞いた話を要約すると、

・当該箇所は、『八つ墓村』主人公・寺田辰弥が、離屋の屏風から自分そっくりな人物の写真を発見したくだり

・「母(辰弥の実母・鶴子のこと)が亀井(田治見要蔵の妾にされる以前の鶴子の恋人)を想うあまり自分(辰弥)が似たのか」「女性がある男性を強く想うがあまりその人によく似た子をうむ小説を読んだことがある」
という要旨の記述があるらしい

・「小説」について題名はあげていない

・当該場面は初出誌「宝石」掲載分でいうと「完結編」全二回の第一回にあたるはずだが、初出の段階で削除された模様

……以上である。成る程、現在手に入りやすい角川文庫版にも、初出誌を底本にした出版芸術社版にもそのような記述はない。あくまで完成に至る以前、構想の段階での話らしい。

では何故、削除した(された)のか。この言及の有無は物語の何を左右するのか。

あくまで個人的な見解だが、『八つ墓村』の主人公・寺田辰弥が抱える「実の父親は結局誰だったのか」という問題をスムーズに解決へと導く為ではなかったか。『押絵の奇蹟』も『八つ墓村』も、「父と子のつながりを巡る葛藤の物語」である。現代のように画期的な鑑別方法がまだ確立されていない時代、久作が『押絵の奇蹟』で描いた葛藤について横溝としても思うところはあったものの、あえて、「本格探偵小説」として、読者に何らかの「予断」を持たせる描写を外した文章展開にしたのではないか……というのは考えすぎだろうか。

くどいようだが、あくまで伝聞を基にした個人的な見解である。確たる証拠は無いので妄想、もとい推察である。確たる証拠は見つかっていないが、もしかしたら……?とも思う。

これについては、他に抱えているテーマ同様、今後も突き詰めていきたい。